競馬学校20期生として04年にデビュー。
7年目を迎え、いまやすっかり関西リーディングの常連となった川田将雅騎手と藤岡佑介騎手。
お互いを『親友であり、一番のライバル』と認め合うふたりの、記念すべき初対談がここに実現しました。
競馬学校時代の秘話から、デビュー当時の葛藤、ライバルとして、親友としてのお互いの存在について──
今、もっとも熱いふたりの貴重な対談を、前後編にわけてたっぷりお届けします。
- ――
- 今回は、同期のお二人ならではエピソードをいろいろお聞きしたいと思ってるんですが、
まずは競馬学校時代について。
そもそも〝競馬学校〟という空間について、
ファンはなかなか知ることができないと思うのですが、
まず入学試験は具体的にどんな内容なんですか?
- 藤岡
- 一次試験は、学科と簡単な基礎体力テストでしたね。
- 川田
- 垂直跳びとか懸垂とか。あとは筆記で、国語、数学、社会の3教科でした。
僕は中学2年の11月からめっちゃ勉強しましたよ。
それまで、人様に言えるような点数を取ってなかったので…(笑)。
- 藤岡
- 僕は学校の成績は悪くなかったから、
筆記は全然不安がなかった。
- 川田
- 腹立つわ~(笑)。
- 藤岡
- むしろ、柔軟性とか体力テストのほうが不安でしたね。
- ――
- やはりすごい倍率だったんですか?
- 藤岡
- 僕らのときは30倍ちょっとだったから、
ピークのときに比べれば、そうでもないんじゃないかな。
- 川田
- 一次試験で40人まで絞られたよな。
- 藤岡
- そうそう。
で、二次試験は2泊3日で競馬学校に泊り込んで、面接、体力テスト、それから乗馬。
性格診断みたいな筆記もあったよね。
- 川田
- あと、骨密度検査。みんなでバスに乗って、専門機関に計りに行くんです。
- ――
- 骨密度検査って…?
- 藤岡
- あとどれくらい体が成長するかが予測できるらしいんです。
- 川田
- その結果は、のちのち教えてもらえるんですけど、
1年が終わった時点でどれくらい、2年が終わった時点でどれくらい、
卒業する時点でどれくらいって、細かい予測がされていて、
僕はバッチリ当たってましたよ。
- 藤岡
- その二次試験で、最終的に15人が合格しました。
マックスが15人なんですけど、以前は10人前後を合格させて、
なるべく全員卒業させようっていうスタンスだったらしいんですけど、
僕らのときは最初に多く合格させて、入学してからさらに競争をさせて、
言葉は悪いですけどふるいにかけるみたいな、そういう改革の年だったらしいです。
- 川田
- 留年した先輩が2人いたので、17人でのスタートでしたね。
結局、同じ年にデビューできたのは8人でしたけど。
- 藤岡
- 辞めたり、留年したりね。
- ――
- お二人が初めて顔を合わせたのは、一次試験のときですか?
- 川田
- いえ、僕は一次試験を九州で受けたので。
二次試験も2班に分かれていて、佑介とは班が違ったよな。
- 藤岡
- だから初めて会ったのは入学式なんだろうけど…覚えてない(笑)。
なんかね、競馬学校って入学してから毎日同じことの繰り返しなんで、
全体的に記憶が薄いんですよね。
よっぽど印象的な出来事じゃないと覚えてないっていうか。
- ――
- 同じことの繰り返しということですが、1日のサイクルはどういう内容なんですか?
- 藤岡
- 起床が5時35分(夏時間の起床は4時40分)。
食堂で朝イチの検量をパンツ一丁で受けて、ラジオ体操をして、そこから厩舎作業。
7時くらいに朝ごはんを食べて、
11時半くらいまで馬に乗って手入れをしての繰り返しを3鞍くらいするんです。
- 川田
- 12時からお昼ご飯を食べて、ちょっと休憩して、1時から2時間の学科。
3時からまた厩舎作業が始まる。とにかく、むちゃくちゃ眠かったなぁ。
- 藤岡
- 夕方まで厩舎作業が続いて、5時からトレーニング。
一応、自由時間っていうことになってるんですけど、
みんな木馬に乗ったり、走ったりしてました。
6時から夕食で、7時半くらいに夜の飼い葉を付けて、
そのあとは自由時間なんですけど、まぁ学科の予習とか復習とかをして、
9時半くらいに寝るっていう感じです。
- 川田
- 僕はそんな毎日が嫌で嫌で仕方がなかった。
そこにいること自体が嫌でしたもん。
- 藤岡
- 上下関係も厳しかったしな。
- 川田
- ただひとつおもしろかったのが…(笑)
たぶん伝統なんでしょうけど、入学してすぐのころ、
先輩に風呂場に集められて、順番に〝一発芸〟をやらされるんです。
そのとき自分が何をやったのかは全然覚えてないんだけど――
- 川田
- 上野の芸だけは忘れられない(笑)。真っ裸で野茂英雄さんのモノマネをして…。
- 藤岡
- 全力でトルネード(笑)。
競馬学校に入って、初めて笑ったのがアレだったんじゃない? 笑っちゃいけない状況だったのに、みんな笑っちゃって(笑)。
- 川田
- あいうえお順に並ばされるので、僕、上野の次だったんですよ。
自分が何をしたかはホントに覚えてないんだけど、〝コイツのあと、やりづらいなぁ~〟って思ったのだけ覚えてます。
- ――
- おふたりが初めて話したときのことは覚えてますか?
- 川田
- 全然覚えてません。
僕、ほとんど誰ともしゃべってませんからね。
- 藤岡
- 仲が悪かったわけじゃないけどね。
- 川田
- さっきも言いましたけど、僕は周りのみんなが嫌いでしたもん(笑)。
- ――
- それはまた、なぜですか?
- 川田
- 当然なのかもしれないけど、すごく競わされるんですよ。
2ヵ月に一度試験があって、成績を発表されて。
そんなんじゃ辞めさせるぞ、家に帰すぞって毎日のように言われて。
ジョッキーになるためには競争意識も大事なんでしょうけど、精神的にきつかった。
- 藤岡
- 将雅はホント、全員と一触即発みたいな雰囲気だったもんな(笑)。
いつもムスッとしてて、何かに不満を抱えてる感じだった。
- 川田
- 佑介は楽しそうだったな。
今もそうだけど、場を和ませてくれる存在だった。
- 藤岡
- 僕は集団生活が全然嫌ではなかったし、人に合わせるのもそれほど苦じゃないから、
ストレスはなかったね。
- 川田
- 僕は入学して2週間くらいのときに骨折して、骨と同時に心も折れまして(笑)。
本気で辞めようとしたんです。
荷物をまとめて「辞めます」って言いに行って。
- 藤岡
- 確かにそのころの将雅は〝ザ・死んだ魚の目〟をしてた(笑)。
すでに何人かバタバタ辞めてたから、ああ、将雅も辞めてしまうんだろうなって思ってたよ。
- 川田
- 辞めたいオーラ全開だったもんな。僕が辞めるって言い出したとき、
大井で調教師をしてる伯父(宮浦正行師)が競馬学校まで止めにきてくれたんです。
僕はそのとき「辞めたい…」って3時間くらい泣いていて。
そしたら伯父がうちの親父(佐賀競馬の調教師・川田孝好師)に電話して
「もうダメだよ、連れて帰っちゃえよ。
こんなヤツ、ジョッキーになったって、たかが知れてるよ。
めそめそしやがって」って。
そしたら親父が
「いや、いらないんで、置いてきてください」って。
ガラーンとした会議室だったので、電話の向こうの親父の声も筒抜けなんですよ。
で、伯父が僕に
「だってよ。な、聞こえただろ。お前、辞めるなんて無理なんだよ。あきらめろ」って。
ああ、ホントに辞められないんだな…って観念したんです。
- ――
- それはスゴい話ですね。
- 川田
- あとで聞いた話なんですが、あの時に僕が競馬学校を辞めて帰るという選択をしていたら、
親父は調教師も辞めて佐賀を出ようと決めていたらしいです。
自分の息子ひとりも一人前に出来ない男が、調教師として人様の子供を厩舎で預かって
一人前の騎手に育てることなんてできないだろうって。
- ――
- 素晴らしい信念ですね。
- 藤岡
- ちなみに僕はその伯父さんにお会いしたことはなかったんですけど、
「すごく怖い人で、その人に辞めるなって言われたから踏み止まった」
って将雅から聞いてたんです。
で、この前、初めてその伯父さんとお会いしたんですけど…。
- 川田
- 大井に乗りに行ったときだよな。
そのときに「僕の同期の藤岡です」って伯父に紹介して。
- 藤岡
- そう、挨拶したんですけど…、
伯父さんを見た瞬間、そりゃあ辞められねぇわって思った(笑)。
将雅と同じような感じで、小柄なんだけど目力が半端じゃない!
何か言われたわけじゃないのに、
「すみません…」って謝りそうになった(笑)。
- 川田
- 普通に
「ああ、キミが藤岡くんか。お互い切磋琢磨して頑張ってな」
って言われただけなのに(笑)。
- 藤岡
- 「ありがとうございます」って言ったあと、
「すみません…」ってマジで言いそうになったんだよ。
見た瞬間にわかったもん、あ! 将雅が言ってた怖い伯父さんだって。
でもその伯父さんのおかげで今があるわけで。
- 川田
- ホントに辞めないでよかった。
最終的にはその伯父だけど、いろんな方が止めてくれてね。
今となっては、みんなにすごく感謝してるんです。
- 藤岡
- 僕は結構、楽しく過ごしてましたね。実技はしんどかったけど、
辞めたいとか帰りたいとか思ったことは一度もなかった。
- 川田
- 僕も嫌だったのは1、2年目で、3年生になったらどうってことはなくなった。
ただ、早く時間が過ぎてくれって思うだけで。
- 藤岡
- 2年のときにトレセンで実習があって、
その時点で関西は僕と将雅と上野の3人だけだったから、
まぁそこで自然と距離が縮まった感じだよね。
これがまた、上野と将雅があんまり仲が良くなくて…(笑)。
な、当時は俺を経由して会話してたもんな。
- 川田
- はい…(笑)。
今は普通に仲いいし、お互いオトナになったのでそんなことはないですけど、
当時は…合わなかったんでしょうね。お互い尖ってましたから。
- 藤岡
- ただ、将雅に限らず、
みんな同期だからって〝仲がいい〟っていう雰囲気じゃなかったですよ。
ホントに仲がいいなぁって思ったのは、津村と丹内くらいで。
- 川田
- あいつらは、ちょっと関係性を疑うくらい仲が良かったよな(笑)。
- 藤岡
- お前ら、どんだけ楽しいんだよっていうくらい(笑)。
- ――
- じゃあ、一緒に買い物に行ったり、ご飯を食べに行ったりし始めたのは、
デビューしてからなんですね。
- 川田
- デビューしてからは、1コ上や2コ上の先輩たちと、
10人くらいでひとつの部屋に集まって遊んだりするようになって。
その流れでご飯を食べに行ったりして、佑介とどんどん仲良くなった。
初めて佑介に〝将雅〟って呼ばれたときは衝撃だったなぁ。
- 藤岡
- そんなこと覚えてるの!?
- 川田
- 鮮烈に覚えてるよ。それまではお互い苗字で呼んでたでしょ?
でもデビューして先輩たちとワイワイやってるなかで、
ある日突然、佑介に〝将雅〟って呼ばれて。
あれ!? どうした!? って衝撃的だった(笑)。
- 藤岡
- 全然、覚えてない。無意識だわ…。
- 川田
- だから俺も〝佑介〟って呼ぶようになったんだよ。
- 藤岡
- 先輩たちがみんな〝将雅、将雅〟って呼んでたから、自然な流れで呼んだんだろうな。
(後編へ続く)
いまや周知のライバル関係となったふたりが、今改めて語るお互いの存在について
──後編では、デビューから今日までの心の軌跡に迫ります。お楽しみに!