06~08年にかけて、史上初の3年連続障害リーディングを達成した西谷誠騎手。
障害重賞では史上最多の16勝をマークする白浜雄造騎手。
そして今年、自身最多となる10勝を挙げ、激しいリーディング争いを繰り広げる高田潤騎手。
今回はCLUB GRIP特別編として、この障害界のトップジョッキー3人による座談会を開催。
競馬との出会いから障害という選択、そして訪れる恐怖との戦いや障害ならでは醍醐味まで、
本音と矜持のぶつかり合いを前後半にわけてお届けします!
取材日=2010年12月2日・なぎさのテラス『なぎさWARMS』(大津市)にて
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みなさんはデビュー1、2年目から障害レースで活躍されてますが、
騎乗されたきっかけは何だったんですか?
- 高田
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僕は競馬学校に入る前から、障害レースにも乗りたいと思っていました。
デビューするときの目標が、
中山大障害と有馬記念を勝つことでしたから。
- 西谷
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最初はみんな、平地と障害の両方の免許を持ってデビューするからね。
- 白浜
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その後、免許を更新するかしないかは人それぞれで。
でもまぁ危ないですから、乗らないですむなら
乗りたくないって普通は思うでしょうね。
僕はデビューした年から障害に乗ってます。
(所属していた)浅見先生が
「若いんだから、いろいろ乗ってみないか」
って言ってくださったのがきっかけです。
僕自身、
乗せてもらえるんだったら、
何でも挑戦しようと思いました。
最初は、先生が(デビュー間もない)僕には危ない馬は
乗せられないということで、馬を選んでくださって。
そのおかげもあって、最初からいい結果を残すことができました。
- 高田
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僕も本当は1年目から障害に乗りたかったんですけど、
先生(松田博資師)に「1年目は乗るな」と言われまして。
先生自身、障害で実績を残された方ですし、
だからこそだったんだと思いますが
「平地もまだろくに乗れないヤツが、
障害なんて乗れるわけない。もってのほかや」
と。
2年目になって、だいぶ競馬に慣れたところで、
確か僕のほうから「障害、乗ります」って言ったような記憶があります。
そしたら「おお、そうか」みたいな感じで許してくださいました。
- ──
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西谷さんは、やはり障害で活躍されたお父さま(西谷達男元騎手)の影響もありますか?
- 西谷
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いや、それはないです。
所属していた瀬戸口厩舎に障害馬がいたのと、
背が高いし、体重もあるしってことで、平地では減量が苦しいだろうからと、
先生が後々のことを考えてくださって。
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西谷さんは競馬学校に入学された当時、160cmくらいだったそうですね。
- 高田
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そうなんですか!?
- 西谷
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そうそう。
入学当時は160cmで、卒業するときが170cm。
デビューしてからさらに7cm伸びて、
177cmまで成長した(笑)。
- 高田
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えっ!? 今、177cmもあるんですか?
- 西谷
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3年前まではね。背中の圧迫骨折で1cm縮んだわ(笑)。
だから今は176cm。
- 白浜
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それで体重は…。
- 西谷
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普段で58キロくらい。大抵競馬は60キロくらいで乗るからね。
(斤量が)58キロのときは、正直、かなりしんどい…。
- 高田
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58キロかぁ…。マコッチャン、めちゃめちゃ細く見えるのに。
- 白浜
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(武)幸四郎先輩とどっちが高いですか?
- 西谷
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一緒くらいじゃないかなぁ。
ふたりとも若干猫背だから、わかりづらいけど(笑)。
- 高田
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僕らのときは、骨密度検査(将来的に、どの程度成長するのかを予測する検査)が
競馬学校の2次試験であって、
たぶんその結果が合否にも影響してたと思うんですけど、
マコッチャンも雄造くんもありましたよね?
- 白浜
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あったあった。
- 西谷
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俺もやったよ。
ただ、俺たちのころは入学試験のときじゃなくて、
2年か3年のときに病院で検査したような。
でもね、正直それどころじゃなかった。
教官の目を盗んで、いかにお菓子を食べるかってことに夢中で(笑)。
- 高田
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僕は入学したときに160cmちょっとあって、
あと2~3cmしか伸びないって言われたんですよ。
今、165cmあるかないかだから、当たってるんですよね。
- 西谷
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当たるもんなんだな。
確かに俺も「デカくなる」って言われたような気はするけど…。
俺らのときは、すでに入学しちゃってるからどうしようもない(笑)。
まぁ
「大変だ。こいつ、すごくデカくなるぞ」
って思われてたかもしれないけどね(笑)。
- 白浜
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デビュー当初は減量がきつかったでしょうね。
- 西谷
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平地に乗っているときは、めっちゃしんどかったよ。
- 高田
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もしかして50キロとか乗ってたんですか?
- 西谷
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乗ってたよ。
- 白浜
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若いころだから、余計にしんどかったでしょうね…。
- 西谷
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当時を振り返ると、食事をした記憶がないもん。
- 高田
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減量があるときだから、ある程度、数も乗っていたわけですよね?
- 西谷
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うん、めっちゃ乗ってたよ。
デビューした年は、じん帯を切って休んだりもしてたけど、
それでも(平地を)年間200鞍以上乗って、13勝したし。
障害も乗ってたけどね。
- 高田
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うわぁ…、それはしんどそうですね…。
- 西谷
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さっきも言ったけど、ホントにちゃんと飯を食った覚えがないんだよ。
風呂場で一度、倒れたこともある。
5年目からは、ほとんど平地は乗ってないけどね。
- ──
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3年前に久々に平地で騎乗されましたよね?
(07年12月15日(土)・中山11RアクアルミナスS・タガノシャンハイ14着)。
- 西谷
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当日はそのレースより、4Rの障害のほうがしんどかった。
勝ったから良かったけど、レースをあまり覚えてないもんね。
普段は絶対にそんなことないのに、途中から力が入らなくなって。
- 高田
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その平地は何キロで騎乗したんですか?
- 西谷
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57キロ。騎乗が決まったのが木曜日で、その時点で59キロちょっとあってさ。
土曜日までに55キロまで落とした。
確かに減量はしんどかったけど、平地のレース自体はすごく楽しかったよ。
西谷 誠 (にしたに まこと)
76年10月15日、滋賀県生まれ。95年、栗東・瀬戸口勉厩舎より騎手デビュー。98年、阪神障害S(春)で重賞初制覇(ゴッドスピード)。翌99年の中山大障害を同馬とのコンビで制し、GI初制覇をはたす。06~08年には障害リーディング3連覇(史上初)。12月5日終了時点の通算成績は、1262戦141勝(平地448戦26勝)。おもな勝ち鞍は、99年(ゴッドスピード)・06年(マルカラスカル)・09年(キングジョイ)中山大障害、08年中山グランドJ(マルカラスカル)(すべてJ・GI)など。
白浜 雄造 (しらはま ゆうぞう)
79年9月25日、長崎県生まれ。98年、栗東・浅見秀一厩舎より騎手デビュー。05年の中山大障害をテイエムドラゴンで勝利し、GI初制覇をはたす。09年中山グランドJ(J・GI/スプリングゲント)の勝利で通算重賞勝利数を16とし、嘉堂信雄元騎手(08年に引退)の15勝を抜いて歴代トップに立つ。12月5日終了時点の通算成績は、1448戦90勝(平地835戦26勝)。おもな勝ち鞍は、00年(テイエムダイオー)・03年(ウインマーベラス)・07年(テイエムドラゴン)京都ハイジャンプ(J・GII)など。
高田 潤 (たかだ じゅん)
80年11月3日、大阪府生まれ。99年、栗東・松田博資厩舎より騎手デビュー。01年の小倉サマージャンプ(J・GIII/ヒサコーボンバー)で重賞初制覇。06年にはドリームパスポートとのコンビで皐月賞(GI)を2着したほか、神戸新聞杯(GII)に勝利するなど平地でも活躍。08年には、キングジョイとのコンビで中山大障害を制し、J・GI初制覇をはたす。12月5日終了時点の通算成績は、1458戦90勝(平地1126戦44勝)。おもな勝ち鞍は、01年(アイディンサマー)・08年(キングジョイ)京都ハイジャンプ(J・GII)など。
- 白浜
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話は戻るけど、潤は競馬学校に入学した時点で、
障害も乗りたいって思ってたんでしょ?
僕と同じで競馬とは無縁の世界から来たのに、
障害レースを知ってたっていうのがスゴイよね。
- 高田
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僕はお金を稼ぐためにジョッキーになったので、
障害でも何でも稼ぐチャンスがあるなら、
全部乗りたいと思ってました。
もちろん憧れもありましたけど、
そもそもジョッキーになりたいと思ったのは、
家が貧乏だったからなので(笑)。
- 白浜
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そんなことはないだろ。
- 高田
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今はそうでもありませんけど、当時はめっちゃ貧乏だったんですよ。
子供のころ、おもちゃなんて一切持ってなかったし。
- 白浜
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僕も裕福なほうじゃなかった。
みんな当然のようにファミコンとか持ってたけど、
僕は持ってなかったし。
- 高田
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ファミコンなんて、当然持ってませんよ(笑)。
持っていたのは、グローブとボール、バッドくらいなもので。
服は全部、2つ上の兄貴のお下がりだし、
靴も紐靴じゃなくて、あのバリバリってやるマジックテープの靴。
運動神経はすごく良かったので、運動会ではリレーの選手に選ばれるんですけど、
自分の順番を待っている間、みんな気合いを入れて靴紐を締め直すんですよ。
それがかっこ良くて、紐靴に憧れてましたね。
僕の靴はマジックテープだから、
深く止め直すくらいしかできない(笑)。
- 白浜
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何度もやったらバリって壊れそうだし(笑)。
でもまぁ、すごく貪欲だったってことだね。
- 高田
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僕はすごく貪欲でしたよ。
同級生のなかには金持ちの子とかも当然いたけど、
こいつらには絶対に負けたくない!
って思ってました。
- 白浜
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僕も反発心はあった。
騎手になってからも、トレセンでは〝よそ者感〟が常にあったし。
- 西谷
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俺も含めて、
トレ子(親が競馬関係者で、トレセンの近くで育った子)も多いからな。
- ──
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白浜さんと高田さんは、競馬とは無縁の環境で育ったわけですが、
そもそもジョッキーという職業を知ったきっかけは何だったんですか?
- 高田
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僕は、中学2年のときの同級生に競馬好きなヤツがいて。
塾の帰りとかにコンビニに寄ると、そいつが競馬雑誌を立ち読みするんです。
で、
一緒に初めて雑誌で見たのが、
ナリタブライアンの3冠がかかった菊花賞の記事で。
その友達は「絶対にブライアンが勝つ!」って言うんだけど、
僕は素人考えで「絶対はないやろ。絶対に勝つなら、みんな当たるやん」
って言い返してたんですけど、
「とにかくレースを観てみろ」って言われまして。
- 白浜
-
その子がいなかったから、
潤はジョッキーになってなかったんだね。
- 高田
-
はい。間違いなくなってませんね。
レースを観ろって言われても、実際、いつ菊花賞があるのかもわかってなくて。
レース当日も普通に遊びに行ってたんです。
でも、帰ってきて何気なくテレビを付けたら、
ホントに偶然なんですけど、菊花賞のスタートの瞬間で。
これや! と思って観てたら、
もう圧倒的なパワーでブライアンがぶっちぎりでしょ。
なんやこれ! って、思わずゾクッとしましたね。
- 白浜
-
競馬にしてもなんにしても、
僕は起こることは
すべてが必然で起こっていると思っているから、
今の潤の話にしても、観るべくして菊花賞を観たんだと思うよ。
- 西谷
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雄造くんがジョッキーになったきっかけってなんだったの?
- 白浜
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僕の場合は、親戚のおばさんが場外馬券売り場で働いてたんですよ。
小学校5年生くらいのとき、そのおばさんに
「あんたは体が小さいし、ジョッキーになったら?」
って言われて。
そのときは「ジョッキーってなに?」って感じだったんだけど、
おばさんに言われたことがずっと頭のなかに残っていて。
それで、あるとき母親に「ジョッキーになりたい」って言ったんです。
それから乗馬クラブに通うようになって。
- 西谷
-
長崎(白浜騎手の出身地)に場外馬券売り場ってあったの?
- 白浜
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ないない。
今でこそウインズ佐世保(02年にオープン)があるけど、
当時の長崎には競馬のケの字もなかった。
だから僕が初めて競馬を観たのは、ジョッキーになろうって決めてから。
ネーハイシーザーが勝った天皇賞・秋だったな。
- ──
-
ナリタブライアンが勝った菊花賞の1週間前ですね。
- 西谷
-
おお、
じゃあ潤とちょうど同じ時期に、
初めて競馬を観たってことだ。
なんかすごいな。
潤も乗馬クラブに行ったりしたの?
- 高田
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中学3年の途中から、試験を受けるまでの半年間だけですけどね。
でも、乗馬クラブってすごくお金がかかりますよね。
僕の家はお金がなかったから、
学校が終わったら
自転車で45分かけて乗馬クラブに行って、
まずはそのクラブの馬房掃除を15馬房くらいやって、
その対価として馬に乗せてもらってました。
- 西谷
-
そうかぁ、潤はすごいな。
- 高田
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じゃないと乗れませんでしたからね。
- 西谷
-
俺なんて、すぐそこに(乗馬クラブが)あったからなぁ。
お金はかからなかったし。
- 高田
-
マコッチャンは、やっぱり物心付いたときから…って感じですか?
- 西谷
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いや、俺のきっかけはあんまり聞かないほうが…。
すごく曖昧だから(笑)。
当時は美術関係の仕事をしたいと思ってたんだよね。
ふたりみたいに運動神経が良かったわけでもないし。
- 白浜
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確かに、走ってる姿とか見ると、
あんまり運動神経は良さそうじゃないかも(笑)。
- 西谷
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そやろ(笑)。
サッカーしてるとき、たいがい
振り返ると俺がコケてると思うよ(笑)。
あと、実は祐一もね(笑)。
俺の場合、なにしろ周りはトレセンの子ばっかりだったから、
みんなが乗馬クラブに行くから俺も、
みんなが試験を受けるから俺も、
っていう感じだった。
- 白浜
-
トレセンで育った子は、そういうケースもあるのかもしれませんね。
-
-
(後編へ続く)
「一度怖いと思い始めたら、もう…」
──後編では、緊張感あふれる現場のお話や、
平地とはひと味違う馬との付き合い方、障害界の未来についてなど、
障害レースの醍醐味に迫ります!