(取材日=2011年3月16日)
35歳という若さで開業した坂口正大師。以来、35年のあいだには、
マヤノトップガン、キングヘイロー、デュランダルなどの名馬を送り出したほか、
長きにわたって調教師会の役員を務めた功労者でもある。
が、意外にも弟子を取ったのは、浜中騎手が最初で最後。
ずっと所属騎手を取っていなかったことは知っていました。
競馬学校から依頼が来たときに、『男前で頭がいい子なら引き受ける』と、
注文を付けられたということも(笑)。
で、来たのが僕(笑)。
『〝頭のいい子〟って言ったら、
競馬学校もあきらめてくれるかと思ったら、お前が来たんや』
って笑ってらっしゃいました。
確かに先生はよく『騎手は顔だ』っておっしゃってましたね。
男前云々ではなく『勝負師の顔をしてなアカン』と。
普段はまだどこかあどけなく、柔らかい笑顔が印象的な浜中騎手。
が、競馬場では一変、キリリと引き締まった勝ち気な表情をのぞかせる。
当然といえば当然なのかもしれないが、
〝勝負師の顔〟と聞いて、ふと、そんな彼のギャップに思い当たった。
かくして、坂口正大厩舎の所属となった浜中騎手。
記念すべき、先生との初対面の瞬間は──。
ちょっとビビリました(笑)。
調教師会の偉い方で、人格者だからってお聞きしていたので。
印象は、優しそうでもあり、厳しそうでもあり。言葉遣いがとても丁寧で、
ああ周りの方がおっしゃっていた通りの方だなと。
07年3月3日、中京4Rでデビューを飾った浜中騎手は、
32戦目となった4月7日、福島7Rをトシツカサオー(西浦厩舎)で初勝利。
そして、5月19日中京6R、自厩舎のシャイナムスメに騎乗し、2勝目を挙げた。
この勝利でシャイナムスメは1000万に昇級。
減量の恩恵がない特別戦でも、浜中騎手が手綱を取り続けた。
5着、3着、3着、3着、2着……善戦はするものの、勝利にはもう一歩届かない。
浜中騎手いわく『乗り替わりかなって何度も思ったんですけど…』、
坂口師は鞍上を替えなかった。そして11月18日、京都9R・宝ヶ池特別。
浜中&シャイナムスメは、ついに勝利を飾る。
先生が『初勝利は俺のところの馬で勝たせてやれなかった。
だから初めての特別は俺が勝たせたかった』って言ってくださって。
2着、3着とずっと負けていたのに『乗せ続けた甲斐があった』とも。
そのときに『僕のこと、思ってくれてるんだ!』って、
すごく嬉しかったんです。
〝先生との一番の思い出は?〟との問いに、
『最後の勝利もそうですが…』と前置きしたのち、
この特別戦での勝利を挙げた浜中騎手。
きっと、デビューしたばかりで厩舎のなかに自分の存在価値を見出せず、
不安な毎日を送っていたに違いない。
そんなときに、先生からの愛情あふれる言葉。彼が〝一番の思い出〟としたように、
この瞬間こそ、『坂口師と浜中騎手』のスタートだったのではないだろうか。
しかし、浜中騎手の不安をよそに、
新人を預かることになった坂口師は腹をくくっていた。
浜中騎手はその事実を最近知ったという。
僕が所属することが決まったとき、厩舎会議のような場で先生は
『俊がうちの厩舎に来ることで、
厩舎の成績が下がったり、
稼ぎが減ることになるかもしれない。
でも、アイツを男にしたいと思ってる。
だからみんな協力してくれ』って、
スタッフのみなさんにお願いしてくださったそうです。
それでスタッフのみなさんも、気持ちをひとつにしたと聞きました。
これも最近になって知ったことなんですが、
スタッフの方も知り合いの厩務員さんとかに
『うちの俊を乗せてやってくれよ』って、言ってくださっていたようで…。
僕の知らないところで、
周りのみなさんがサポートしてくれていたんですね。
こうした全面バックアップのもと、浜中騎手は初年度から20勝をマーク。
先生は『ちょうど厩舎の成績がよくなかったこともあって、
新人賞を獲らせてやれなかったな…』って。
2000年以降、20勝を下回ったことのない坂口大厩舎だったが、
この年は12勝。確かに不調だった。
しかし、出走馬の約半数の騎乗を浜中騎手に託し、
3月以降に挙げた10勝のうち、半分を師弟タッグで挙げた。
シャイナムスメで特別戦を勝つまでは、『不安でいっぱいだった』という浜中騎手。
が、1年を終えて、そんな不安は吹き飛んだに違いない。
その証拠に、2年目は73勝と大躍進。
関西リーディングで7位に入るなど、一躍若手のトップに躍り出た。
2年目はすごく勝ち星が伸びて。完全に調子に乗ってましたね…。
2年目の大躍進、そして騎乗停止から始まった3年目──。
いわく『先生にはいっぱい怒られました』と振り返るこの時期は、
彼にとって最初の転機であった。
(第3回へ続く)