(取材日=2011年3月16日)

1年目の20勝から、一気に73勝。2008年、浜中騎手は目覚ましい飛躍を見せた。
夏には、家族が見守るなか、小倉2歳Sで重賞初制覇(デグラーティア)。
終わってみれば、関西リーディングで8位に入った。
そして3年目。若手にとっては減量の恩恵がなくなる、勝負の年である。

2年目にすごい勢いで勝つことが出来て、
周りからも『お前なら減量が取れても大丈夫だよ』って言われて…。
今、思い返してみても、すごく調子に乗っていたと思います。
天狗になっていたんでしょうね。

実は坂口師の一番の教えが〝天狗になるな〟。
デビュー当時からずっと言われ続けていたことだったという。

『乗れてるのは、お前がうまいからとかではないしな。
お前なんか、誰もうまいとは思ってないねんぞ。
周りのバックアップがあるから、今があるっていうことを忘れるな』
って、いつも言われてました。
『だから、天狗になるな。勘違いをするな』って。

しかし、当時の浜中騎手には、そんな師の言葉もブレーキの役割を果たさなかった。
1月4日、京都10R。お手馬サワヤカラスカルで出走した新春Sで降着となり、
初めて騎乗停止処分を受けることに。
『落ち込みました』と振り返る彼だが、坂口師の言葉はまだ彼に届いていなかった。

夏は例年通り小倉に参戦したんですが、毎週いい馬がたくさん集まるし、
次々と勝てるし…、完全にナメてましたね。
周りの方からも
『最近のお前は荒い。強引すぎる。いつか落ちるぞ』
って言われてました。

でも、調子に乗ってるもんだから、
周りのそういった声が全然耳に入らなくて。
〝あっちでもこっちでもどこでも行ける!〟
くらいの感覚で競馬に乗っていました。
でも、案の定、そのすぐ後に落馬して…。自分で招いた事故でした。

調子に乗れば隙ができる。周りの見る目も変わっていく。
師がなによりも〝天狗になる〟ことを許さず、口を酸っぱくして言い続けたのは、
その果てに何が待ち受けているか、嫌というほど知っていたからだろう。
弟子を守るための忠告だった。

落馬のあと『自分でも調子に乗っていたと思います』って、
先生に言いに行きました。
先生は『自分で経験せなわからんことやから。いい勉強になったな』って。
怒られなかったんです。

普段は感情的になることがないという坂口師。
浜中騎手いわく『すごく冷静に怒る先生なので、よけいに怖い(笑)』
とのことだが、ひとつだけ、師が声を荒げる瞬間がある。〝朝寝坊〟だ。

普段は冷静な先生ですが、
朝寝坊だけはドカーンと怒鳴られましたね。
『朝起きれんヤツは、競馬でもゲートに入れてないのと一緒や!』って。
だから、寝坊してしまったときは、みんなに『(先生が)待っとるよ』
って言われて、先生の事務所まで怒られに行くんです。
ドキドキしながら(笑)。

この話しぶりから察するに、寝坊は一度や二度じゃなさそう(?)
だが、実は浜中騎手、記念すべき〝あの日〟にもヤラかしてしまったそうだ。

実は僕、菊花賞当日の朝、寝坊して調教に遅れてしまったんです…。
そのときはさすがに『お前、もう騎手を辞めろ!』って。
『今日GIに乗るってヤツが朝起きてこれへんなんて、
レースに乗る資格ないわ!免許捨てろ!』って、
ものすごく怒られました。
当然ですよね…。

が、ご存じのとおり、そのわずか7~8時間後、浜中騎手はスリーロールスを駆り、
大歓声のなか真っ先にゴールに飛び込んだ。
わずか3年目、弱冠20歳での菊花賞制覇である。

先生はその日、京都競馬場にはいらしてなかったので、
レースが終わったあと、すぐに『勝ちました!』って連絡を入れました。
朝、怒られたばかりだったので、ちょっと緊張したんですけど、
すごく穏やかに『俺もお前も初めてのGIが菊花賞なんて、不思議な縁やな』
って言ってくださって。すごく嬉しかったです。

ちなみに、実はもうひとつ、坂口師と浜中騎手には縁がある。
小学校2年生のころから騎手になりたかったという浜中騎手だが、
当時大ファンだった馬が、ほかでもない、
坂口師に初めてGIをプレゼントしたマヤノトップガンなのだ。

子供でしたから、当然、トップガンが坂口大厩舎の馬だとか、
そういうことは知りませんでした。所属することが決まったあと、
インターネットで調べて知って、嬉しかったのを覚えています。
デビューしてから
『トップガンの尻尾の毛とかないんですか?』って聞いたら、
『北海道まで取りに行け』って言われましたけど(笑)。

初めての騎乗停止から始まり、自ら招いた落馬、そして菊花賞制覇。
最後には、パートナー・スリーロールスの競走能力喪失という
悲しい出来事もあった(有馬記念のレース中に故障を発症)。
いろいろあった09年。大きく成長した年ではなかったか。

調子に乗らず、
でも競馬は自信を持って乗らないといけないっていうことを、
身を持って感じた年でしたね。すごく勉強になった1年でした。
スリーロールスの事故は、もちろんつらかったですし、
引きずらなかったといったら嘘になります。
でも、あの馬にはいろいろと教えてもらったので、
それを今後に生かすためにも、早く気持ちを切り替えようと。
それがスリーロールスの事故を無駄にしないことだと思ったので。
だから、年明けからすごくいいモチベーションで臨めました。

年が明けて2010年。いよいよ、師弟で戦う最後の年となった。

去年は、先生の馬により多く乗って、
ひとつでも多く勝つことがテーマでした。
だから、最後の日に勝って終われたことは、本当に嬉しかった。
弟子として、少しは恩返しできたかなって。

現役のころから、
『お前は孫みたいな年やからなぁ』と、よく口にしていたという坂口師。
現在も頻繁に連絡を取り合っているという二人のお話を聞くと、
いまや本当に〝おじいちゃんと孫〟のようだ。

しょちゅう一緒にご飯を食べたり、ご自宅伺ったりしてます。
『暇やから、お前のレースを観るしかないわ』って(笑)。
それに、フリーになったばかりなので、
『お前、今週何頭乗ったんや?』とか『今週、乗る馬いるんか?』とか、
いつも心配してくださっていて。先生の存在は、すごく心強いです。
これから先、たとえば僕がミスをしたときも、
先生がちゃんと怒ってくださると思うから。

本来、穏やかな先生を何度も怒らせたという浜中騎手。
しかし、いうまでもなく、それは愛情の裏返しである。

それは4年間、常に実感していました。
先生もね、ホントは怒りたくなかったでしょうけど(笑)。
騎手としてのスタートからずっと見守ってくださって、
今思えば、先生に甘えっぱなしの4年間だったと思います。
〝先生がいるから大丈夫〟
っていう思いがどこかにありましたから。

正直、ぬるま湯に浸かっていたのかもしれませんね。

今後について『不安がないといえば嘘になる』という浜中騎手。最終回となる次回は、
〝フリー・浜中俊〟としての決意と、意外な(?)交友関係を語る。

(第4回へ続く)


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