(取材日=2011年7月6日)

6月26日の宝塚記念。
アーネストリーと佐藤哲三は最高のパフォーマンスを見せてくれた。
まるで地の果てまで走り続けられるのではないかと錯覚してしまうほど、
馬と騎手の呼吸がピタリと合い、まったく無駄のない走りだった。
これこそが“人馬一体”というのだろう。

とくに作戦はなかったんですが、
今まで積み重ねてきたことをGIで見せたいという思いを持っていました。
実際、その通りのことができたんじゃないかと思います。

佐藤の言葉通り、アーネストリーは好スタートから2番手につけ、
直線で先頭に立つという自分たちのスタイルで押し切った。
しかも、レコードのおまけつきである。

去年の宝塚記念(3着)の時点で人馬に足りなかったものを、
今年は少し補えたんじゃないかなと思います。
それも、アーネストリーがすごく補ってくれたような気がしますね。
折り合いもそうだし、すごくパワーがあったので、
あとは僕が消極的にならないように、
あるいは積極的に行きすぎて自滅しないようにすれば
結果はついてくると。
スローを先行して勝ったのではなく、
ある程度ハイペースを刻みながら行って、
なおかつ年度代表馬(ブエナビスタ)などの
差し脚鋭い馬たちを寄せ付けなかったというのは、
本当に力を付けた証拠なんじゃないかと思いますね。

これまでアーネストリーは20戦しているが、
そのうち17戦は佐藤とのコンビである。
もし、テン乗りのジョッキーであったならば、
デビュー戦で強烈な差し脚で勝っていること、
そして昨年の宝塚記念、秋の天皇賞で先行して敗れていることを考えて、
中団から競馬をしていたかもしれない。
しかし、誰よりもアーネストリーのことを知っている佐藤だからこそ、
強敵相手でも自分たちのスタイルを崩さなかった。

デビュー戦は、中団くらいから差し切ったんですが、
どうも体質が弱いのと、馬が大きいというのがあって、
脚をタメようと思っても上手くたまらなかったんです。
こういう競馬を続けていったとして、
果たしてアーネストリーの未来は開けてくるのか…
かなり悩みました。
あれだけの馬なので、上がりの競馬をしようと思ったら、
34秒とか33秒の脚を使ってくれる。
ただ、差すスタイルが合うか合わないかっていうことであれば、
合わないんじゃないかなと感じたんです。

デビュー戦を勝ったあと剥離骨折し、8カ月の休養。
さらに、復帰後すぐに股関節炎を発症し、再度5カ月の休養。
当時のアーネストリーは体質が弱く、
決して順風満帆というわけではなかった。
再びターフに戻ったのは3歳の夏、
春のクラシック戦線はすでに終わっていた。
その後の2戦は三浦皇成騎手が騎乗したが、
5戦目からは再び佐藤が手綱を取ることになる。
そのときには、デビュー戦で鮮やかに差し切ったスタイルではなく、
先行スタイルに切り替わっていた。

1600万を勝つまでは良かったんですが、オープンに上がってからは、
先行してまったく結果が出なかったので、また悩みましたね。
とくに新潟大賞典のときは、何か本気を出していないなって感じで。
ただ、その原因がすぐにわかるかっていうと、そんなに簡単ではなくて、
レース中に手前を替えてからのスピードの乗りが遅いなぁとか、
その程度なんです。
やっぱり後ろから行ったほうがいいのか、
もっと前に行ったほうがいいのか、試行錯誤の繰り返しでした。

4歳になった09年、1600万の御堂筋Sを勝ち、
待望のオープン入りを果たしたものの、重賞初挑戦の日経賞では4着。
続く新潟大賞典も5着に敗れた。
さらに重賞3戦目となるエプソムCでは、
ついに競走人生初の2ケタ着順(10着)を記録してしまった。
しかし、4カ月の休養を挟んだオープン特別の大原Sで、
アーネストリーに変化が現れる。

(大原Sあたりから)馬が成長段階に入ってきたんだと思います。
GIに向けて手応えをつかんだのは、中日新聞杯(1着)ですね。
ドリームサンデー(2着)と一緒に競馬をできたのが
一番大きかったかもしれない。
それまでのアーネストリーはハミが掛からないから、
ハナに行っている馬に離されないように追いかけて行ってたんです。
中日新聞杯前のアルゼンチン共和国杯(2着)のときも、
松岡(正海)が乗っていたんですけど、
やっぱり逃げている馬を捕まえに行ったときに、
ハミが掛かっていなくて伸びきれなかった。
だから中日新聞杯は、
ドリームサンデーが4角で引き離しにかかったときに、
あえて追いかけないで、一度外にバーンと振ったんです。
急に外に振ると、馬は踏ん張るから、
自然とハミをグッと噛んでくれる。
その瞬間に追い出したら、ビューン!って伸びてくれて、
『あっ、これや!』と。
このときの走りをもっと煮詰めていけば、
GIでも通用すると思いました。

中日新聞杯後、佐藤は佐々木晶三調教師に、
「この走りができるなら、GIに行けます」と宣言。
その言葉通り、その後のアーネストリーは、
金鯱賞優勝→宝塚記念3着→札幌記念優勝→天皇賞・秋3着と、
一線級と互角の戦いを繰り広げた。
そして、先の宝塚記念でついに頂点に。
佐藤がアーネストリーに教えてきたことが、
実を結んだ瞬間だった。

よく“付きっきりで…"と言われますけど、
僕はレースを使う3週前くらいからの追い切りしか乗っていません。
それ以外はすべて厩舎のスタッフにお任せしていますので。
もちろん、勝つために自分が思った方向に向いてくれて、
思ったように動いてくれる馬を造りたい、
そういうやり方でレースに挑みたい、とは思っています。
でも、本当に苦労したのは先生や厩務員さん、調教助手さんですよね。
アーネストリーは体質に弱いところがありましたけど、
ただ甘やかしていたら今のアーネストリーはなかったと思うんです。
ギリギリのところで使い続けることは、本当に難しいことですからね。

全員で勝ち取ったグランプリホースの座。
佐藤とアーネストリーの次なる目標はどこになるのだろうか。

前田オーナーは去年から『この馬で海外に行くからな』
とおっしゃっられていました。
『僕でいいんですか?』ってお聞きしたら、
『他に誰がいるんや』と・・・。
それに、オーナーは負けても必ず
『グッドレース』と言ってくださるんです。
そのように言ってくださるオーナーが
『海外に行きたい』とおっしゃるなら、
それを目指すのが僕らの仕事だし、
僕自身もいつかはアーネストリーと一緒に海外に行きたい。
宝塚記念を勝ったわけですから、
本当はすぐにでも行くことはできると思います。
でも、今行って通用するかといったら、
佐々木先生が言うように、
東京の長い直線をもう少しこなせるようにならないと。
良いときに行かなければ意味がないっていう人もいますが、
今が一番良いときかどうかは誰にもわからない。
海外のレースを本気で勝ちたいと思っているからこそ、
“今年は国内で"という答えが出てきた。
僕が言うことではないかもしれないけど、
すごくいい選択だと思います。

以前は海外に興味がなかったが、
今はこれまで積み重ねてきたことが通用するかどうかを
試してみたいと思うようになったという。
レースではジョッキーの乗り替わりが多く、
攻め馬もほとんどは調教助手が行っている昨今、
佐藤のようにずっと同じ馬に乗り続け、
厩舎スタッフと一緒に馬を造り上げる“職人"は少なくなった。
2回目からは、その“職人"佐藤哲三のルーツを探っていく。

(第2回へ続く)

祝! 宝塚記念制覇“ジョッキー佐藤哲三”のルーツに迫る

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