(取材日=2011年7月6日)
これまでの話を聞いている限り、
"どの馬に対しても真摯に取り組んでいる"というのが
佐藤哲三のイメージである。
攻め馬以外でも、厩舎に毎回寄って、
馬の様子を見に行っているのかと思っていたが、
本人の口からは意外な答えが返ってきた。
厩舎にはあまり寄らないですね。
基本的にジョッキーは馬に嫌われていますから。
それが
走る馬になればなるほど、
『あっ、嫌なヤツがきた』って見ていますよ。
エスポ(エスポワールシチー)なんかは、
もろに僕を嫌っている(笑)。
僕を発見した時点で、ピタッと止まるんです。
もちろん、レース後に見に行くことはありますが、
行っても洗い場までかな。
レースを使う週は厩舎に寄らないようにしています。
『ジョッキーが来てくれた!』と思ってくれるならいいですけど、
『お前、俺の前にいるなよ』と思っているような気がするので(笑)。
優勝劣敗の世界だけに、
馬が苦しくても全力で走らせるのがジョッキーの仕事だ。
すべての馬に当てはまらないだろうが、
ジョッキーを見れば、また苦しい思いをさせられると思うのかもしれない。
"余計なストレスになるのなら、厩舎には行かない"、
これは佐藤なりの馬に対する優しさなのだろう。
そんな彼も競馬が嫌になったことがある。
2000年の春のことだ。
ラガーレグルスとともに皐月賞に出走。
3番人気に推されながら、発走寸前にゲート内でレグルスが立ち上がり、
佐藤を振り落して競走中止となってしまった。
もともとゲート内で暴れるクセがある馬で、
ゲート内で長く待たされる1枠1番というのも仇となった。
心ないファンから痛烈なヤジを飛ばされ、
佐藤は心に大きな傷を負ったのだ。
あのときのレグルスはゲートで立ち上がることを絶対にするから。
何をしてもするんでね…。
馬券の返還もなかったですし。
それが莫大な金額だと考えると、
『あぁ…やってしまった…』とかなり悩みました。
それこそ皐月賞のあと家でゆっくりしようと思ったときに、
神経性のめまいがしたくらいです。
まぁ、あの時の経験が今につながっているとは思うんですけど。
この皐月賞での駐立不良によって、
ゲート再審査を課せられたラガーレグルス。
ダービーを翌週に控えた5月20日、
東京開催の昼休みにゲート試験を行ったが、
一部のファンが傘で柵を叩き続けたことが影響し、
レグルスはゲート内で立ち上がってしまい、不合格となってしまう。
それから、佐藤は"スタートが上手くない"という
不名誉なレッテルを貼られた。
あの出来事の前は出遅れても、
そのあとにレースを組み立てていけばいいと考えていたんです。
だけど、それからは意識的にゲートを出してやろうと。
他の馬に乗っていても"佐藤哲三はゲートを出せるんだ"と、
アピールしていきたいと思うようになりましたね。
そのためにゲートの上手いジョッキーの出し方を観たりして、
いろいろな努力をしました。
その後、ラガーレグルスは屈腱炎を発症し、
再びターフに戻ることはなかった。
そしてレグルスが引退した2年後の2002年、
佐藤の騎手人生に大きな影響を与えた
タップダンスシチーと出会うことになる。
レグルスとの出来事があったことで、ゲートの重要性を知りました。
あれがなければ、タップのような馬は造れなかったかもしれない。
でも、
僕にとっての大きな転機は
やはりタップと出会ってからです。
競馬に対しての取り組み方が変わりましたから。
そのころは、スローの競馬ばかりで、
"レースがおもしろくない"とファンの間で不評だった。
そこで、佐藤は考えた。
展開などを考えずにスローにさせない馬を造れば
勝つ可能性が高いし、ファンも喜ぶと。
佐々木先生も『この馬の取り柄は心肺機能や』とおっしゃっていたし、
僕自身もタップなら出来ると思っていました。
心肺機能をフルに生かす競馬。
つまり、前々で競馬をして、逃げ馬がいなければ自分たちが行ってもいい。
重要なのは、スローにさせずに、
直線で瞬発力勝負に持ち込ませないことだった。
初めて実践したのは、2002年の有馬記念。
タップダンスシチーと佐藤は好スタートからハナに立った。
しかし、スタンド前で1番人気のファインモーションが引っ掛かってしまい、
タップを交わして先頭に立つ展開に。
向正面でようやくファインは落ち着き、
鞍上の武豊はペースを落とそうとした。
だが、タップと佐藤はそれを許さなかった。
再び先頭に立って、ペースを緩めず、後続を引き離した。
直線に入ったとき、後続との差は8馬身。
"タップが逃げ切る!"と誰もが思った。
だが、ゴール寸前で、シンボリクリスエスに交わされ、2着に敗れた。
このときに『独特だけど、この馬はすごい馬やなぁ』と思いました。
ただ、あの有馬のときもバッシングを受けて、
今度は競馬に行くのが怖くなりましたね…。
当時の有馬記念はタップが13番人気で、ファインが1番人気。
掲示板に載るかもわからない人気薄のタップに
優勝候補のファインが潰されたと、誰もが思ってしまった。
もし、これが勝ち負けが目的ではなく、
単にレースを乱すような競馬であれば、
批判されても仕方がないだろう。
しかし、タップは自分の競馬をして2着に粘ったのである。
そう考えると、バッシングを受けた佐藤に同情したくなる。
『あぁ、もう嫌だなぁ。なんで俺がタップに乗らんとアカンのやろ』
と思ってしまったこともありました。
それからは"競馬に行くのが怖い"という気持ちにならないように、
これまで以上に作戦を練って、
馬ともコミュニケーションをとるようなったんです。
自分もファンも納得のできる競馬をするために。
佐藤とタップは有馬記念の翌年、
復帰戦となった東京競馬場リニューアル記念を快勝。
続く金鯱賞も優勝した。
2度目のGI挑戦となった宝塚記念は3着に敗れたものの、
同年秋のジャパンCで9馬身差の圧勝劇を演じ、
悲願のGI初制覇を成し遂げた。
有馬記念がフロックではなかったことを、
佐藤とタップは結果で証明してみせたのである。
もちろん、そのころには有馬記念の出来事を
とやかく言うファンはいなくなっていた。
タップでいえば、心肺機能の強さを生かすために、
まずはロスのない競馬をしないといけなかった。
要は、大胆に行っているようで、
繊細な部分がたくさんあったんです。
そういったことも含めて、多くのことをタップから教わりました。
それからですね、
他のレースも差し主体から先行スタイルに切り替えたのは。
サラブレッドが長い年月をかけてスピードに磨きをかけたように、
コース整備や芝の育成技術も目覚ましく進化した。
そのため、現代の日本競馬は内外の馬場差がほとんどなくなり、
距離をロスしない競馬、
より前のポジションにつけられる馬が有利になった。
佐藤もまたタップで実践したことで、
"勝つ可能性が高いのは『差しスタイル』ではなく、
『先行スタイル』"と確信を持ったのだ。
もし、タップに出会っていなかったら、
違う職業を考えていたかもしれないですね(笑)。
おかげさまで、今はまだジョッキーを辞めようと思わないですから。
ラガーレグルスとタップダンスシチーには苦しい思いをさせられたが、
今の"ジョッキー佐藤哲三"はこの2頭がいたからこそ存在している。
もし、これらの経験がなければ、
アーネストリーのような馬は造れなかっただろうし、
宝塚記念のような"人馬一体"の騎乗はできなかったに違いない。
(第4回へ続く)