
(取材日=2011年7月21日)
秋山騎手がデビューした97年春、牝馬クラシック戦線は、
メジロドーベルとキョウエイマーチの2強対決に沸いていた。
彼が所属したのは、そのキョウエイマーチを管理する野村彰彦厩舎。
ベテラントラックマンをして「あの厩舎はホンマに厳しかったと思う。
人間としてもジョッキーとしても、要求されるレベルが高いから」という厩舎である。
彼のいう〝チャンス〟のなかで、一番に挙げられる馬──それは間違いなくキョウエイマーチだろう。
初めて騎乗したのは、98年秋のマイルチャンピオンシップ。
前年のクラシックホースに、デビュー2年目の若手が乗る。
確かに、今では考えられないケースだ。
以降、騎乗停止中だったたった一度を除き、引退まですべてのレースで手綱を取った。
その間には重賞を2勝したほか、GIでも何度も見せ場を作った。
デビュー間もない秋山騎手にとって、
キョウエイマーチの背中が教えてくれたことは、決して少なくないはずだ。
さて、そもそも秋山騎手が野村厩舎に所属することになった経緯には、
ほかでもない、父・忠一氏の存在があった。
「あとから聞いた話なんですけど、オヤジが頼んでくれたらしいんです。
いろいろ考えてくれたのかも」と、少し照れくさそうに明かす。
いわく「誰からも愛される人」という忠一氏ならではの選択であったのかもしれない。
しかし秋山騎手、元来、器用なタイプではない。
競馬界ならではの複雑な人間関係に、思い悩む日々もあったようだ。
と、最後は自嘲気味に笑うが、これが、デビューして14年を経た騎手・秋山真一郎のスタイルであり、
「騎手という仕事が大好き」という不器用な男が出した結論なのだろう。
しかし、その間にはいくつもの出会いがあり、師匠の教え通り、人とのつながりを大切にしてきた。
今ではすっかり強固なラインとなった、平田師との出会いもそのひとつである。
と、振り返るのは07年、ベッラレイアと歩んだ春である。
豪快な直線一気を決めたフローラSに続き、オークスでも1番人気。
9年目に訪れたビッグチャンス──が、結果は2着。
勝ったローブデコルテから、わずかにハナ差であった。
展開や進路ではなく、自身の騎乗に後悔を滲ませる。
はたして彼の言うバランスとは、ほんのわずかな馬上でのポジション。
いわく「僕は、それがジョッキーの〝技術〟っていうものだと思う」。
秋山騎手の譲れない美学だ。
一番悔しかった出来事として、真っ先にあのオークスの敗戦を挙げた秋山騎手。
彼にとって、間違いなく転機となった一戦だった。
あれから4年。GIのタイトルはいまだ悲願であるが、しかし、騎手として彼の言葉には迷いがない。
虎視眈々──今の秋山騎手には、そんな言葉がよく似合う。
中堅となった今もなお、毎日必ず、競馬の映像を観るという。
戦うための〝可能な限りの準備〟であると同時に、やはり彼は、純粋に競馬が好きなのだなと実感する。
「なんだろ…、騎乗オタクっていうのかな(笑)」とは本人の弁。
最終回では、そのオタクっぷり(!?)を通して、騎手・秋山真一郎の素顔に迫る!