(取材日=2011年8月23日)

中央競馬では、柴田大知&未崎騎手に続く、2組目の双子ジョッキーとして、
2009年に騎手デビューをはたした国分優作&恭介騎手。
いまや、ともに関西若手騎手の中核として、競馬ファンの耳目を集める存在となりました。
今回は、勝負の世界で切磋琢磨する双子ならではの苦悩や絆、
そしてジョッキーとして、兄弟としての“お互い分析”まで、国分兄弟のすべてに迫ります!

 
──
おふたりは茨城県のご出身ですが、
競馬とは無縁の環境で育ったそうですね。
騎手を目指したきっかけはなんだったのですか?
優作
母が競馬学校に関する新聞記事を見つけて、
僕たちに「こういう仕事もあるんだよ」と
教えてくれたことがきっかけです。
体もすごく小さかったし、スポーツも好きだったし、
動物も好きだったので、すぐに興味を持って乗馬クラブに通い始めました。
母がその記事に目を留めなかったら、
騎手になるなんて考えもしなかったと思います。
──
おふたり同時に、騎手になろうって決めたんですか?
プロスポーツであり、勝負の世界ですから、
いろいろ考えたり、迷ったり…。
恭介
いえ、母親から騎手という職業があると聞いたとき、
すぐに“なりたい!”と思いました。
優作
正直、プロスポーツだとか、そういうことはあまり考えなかったですね。
体が小さい僕らでもできるんだったら、コレしかないだろうと。
恭介
勉強が好きじゃなかったし、勉強しなくていいなら…
っていう気持ちもあったけど(笑)。
──
じゃあ、競馬自体は、知らなかった?
 
恭介
はい、観たことがありませんでした。
最初に観たのは、なんのレースだったか覚えてないんですけど…、
乗馬クラブのみなさんと一緒に。
乗馬クラブには、競馬が好きな人がたくさんいたので。
優作
でも、競馬をテレビでやっている時間は、
たいてい馬の世話をしていたので、あまり観る機会がなかったですね。
騎手になりたくて乗馬クラブに通い始めたんですけど、
当時は競馬を観るより、とにかく馬に乗ることが楽しくて。
恭介
馬に初めて乗ったのも、乗馬クラブに入ってからです。
すごく景色がいいなぁって思った記憶があります。
優作
僕らはホントに環境に恵まれていたと思います。
その乗馬クラブも家から近かったですし、すごくいい先生で。
毎日のように通ってましたね。
恭介
夏場は、朝、馬に乗ってから、学校に行ってましたからね。
乗馬が好きだったのはもちろんなんですけど、
従業員さんも先生も、ものすごくいい方たちばかりだったので。
みなさん、家族のように接してくださって、すごく楽しかった。
 
優作
そう、ホントに楽しかった。
あの乗馬クラブでの時間がなかったら、
騎手になっていなかったかもしれません。

 
──
その後、競馬学校に25期生として入学されて。学校生活はどうでしたか?
競馬学校については、「楽しかった」っていう方もいれば、
「思い出したくもない」っていう方もいますけど…。
優作
3年生のときは楽しかったです。
恭介
僕は楽しかったというより、プロになって本当にやっていけるのかって、
つねに不安がありましたね。
優作
僕らの場合、つねに家族が一緒にいたので、ほかの人にくらべれば、
精神的にきついということはそれほどなかったですね。
恭介
あとは、同期の仲が良かったので、
けっこうバカばっかりやっていて(笑)。
優作
うん、みんなで楽しくワイワイやってました。
恭介
嫌な思い出もいっぱいありますけど(笑)、
いい思い出もたくさんできました。
──
デビュー当時は、優作さんが美浦の国枝厩舎、
恭介さんは栗東の五十嵐厩舎に所属されて。
東西に分かれて所属することは、おふたりで決めたんですか?
優作
いえ、競馬学校の先生に、
「二人で同じところにいると、逆に目立てないんじゃないか。
離れたほうが“個人”として見てもらえるだろう」
ってアドバイスをいただいて。
恭介
優作と離れること自体に不安はありませんでしたが、
ずっと関東に住んでいたので、僕の場合、
関西に行くということに不安はありました。
でも、いざ来てみたら、みなさんすごく良くしてくださって。
優作
離れたことで、間違われることもなくなりましたし、
余計なことを考えなくてよくなったというか。
僕は解放感がありましたけどね(笑)。
 
恭介
それに、 一緒にいると絶対にケンカをするので(笑)。
いまだに小さいことでケンカになります。
双子とはいっても、意見が合わないことはいっぱいありますから。
優作
性格が違うもんね。
──
自分たちでは、どんなところが違うと思いますか?
優作
恭介は、なにに対しても強い気持ちでぶつかっていくところがあります。
僕に対しても、きつい言葉でなんでも言ってきますし。
恭介
僕から見ると…、 優作の考え方はすごく独特。
理解できないことが多いです(笑)。
たぶん、優作の考え方を理解できるのは、100人に1人くらいですよ。
不思議ちゃんです(笑)。
たとえば?って言われても、たとえようがないくらい。
優作
自覚はないんですけどねぇ。
たしかに、 話していて浮くことはあります(笑)。
天然とか、そういう変わり者じゃないとは思うんですけどね。
騎手になるまではずっとふたりで一緒にいて、
最近になってようやく個人として周りの人ととかかわるようになったので、
自分でもだいぶ性格が変わったんじゃないかなぁと思いますけど。
恭介
どんなトレーニングをしてるとか、そういう話もするんですけど、
たしかに僕の考えてる以上に、努力をしていることがわかって。
勝てない時期もずっと。
優作
あの時期は、ずっと恭介が心配してくれて…。
全然勝てなかったですからね。
1、2年目は、よく 「弟も頑張ってるんだから、お前も頑張れよ」
って言われました。
──
気持ちばかりが焦りそうですね。
優作
そうでしたね。
頑張るっていっても、馬に乗れなきゃ頑張れない。
でも、こっち(栗東)にきて勝てるようになったら、
それだけで「頑張ってるね」って言われるんです。
僕自身は、なにも変わってないんですけどね。
 
恭介
やっぱり結果がすべての世界ですからね。
馬乗りを始めてからずっと一緒にいて、優作は、
馬に対する考え方がしっかりしていて、実際に馬乗りもすごくうまかった。
たぶん、 同じ環境でスタートしていたら、
負けていたと思います。
僕からすると、うまいはずなのに…って納得できませんでしたね。
やっぱり、ライバルとしてやっていきたかったから。
どちらかが諦めるようなことは絶対に嫌でしたし、
だから、当時しょっちゅう言ってたのは
「下手じゃないんだから、自信を持って乗りなよ」って。
まぁ、僕も言えるような立場ではなかったんですけどね…。

そして今年、優作騎手は美浦から栗東へ所属を変更。
その決断には、優作騎手の師匠・国枝師の弟子に対する深い愛情がありました。
次回は、その移籍の経緯から、ご両親との感動秘話まで、
さらに一歩踏み込んだ「国分兄弟物語」をお届けします!

(第2回へ続く)


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