(取材日=2011年8月23日)

兄・優作騎手は美浦の国枝厩舎、弟・恭介騎手は栗東の五十嵐厩舎所属として、
騎手人生をスタートさせた国分兄弟。しかし、二人を取り巻く環境は、あまりにも違っていました。
初年度23勝、2年目52勝と、恭介騎手が順調に勝ち星を重ねる一方で、
優作騎手は騎乗機会にも恵まれず、2年目が終了した時点でわずか7勝…。
苦悩の末、優作騎手は栗東への移籍を決意したわけですが、
はたしてその決断に至るまでには、どのような経緯があったのでしょうか──。

 
──
減量ジョッキーを取り巻く環境は、
昔から美浦と栗東では大きな隔たりがありますよね。
風潮といってしまえばそれまでですが、
恭介さんは、逆の立場だったら…って考えたことはありますか?
 
恭介
優作はあれだけ競馬に乗れない
時期があったのに、腐らなかった。
それはホントにすごいと思うし、
僕だったら…、ちょっとわからないですね。
優作はすごく性格が明るいから。
優作
ほとんど腐りかけてたと思うよ。
恭介
でも、優作、明るかったよね。
優作
うん…、表に出したくなかったから。
周りに相談したところで、どうしようもないことだし。
──
最初の2年間は、あまり会う機会もなかったでしょうしね。
優作
そうですね。1回か…2回?
恭介
うん。あとはローカルに行ったときとか。会ったときも、
あんまり僕が勝った話とかしたら申し訳ないと思ってたし、
かといって、
「もっとこうしたらいいんじゃない?」
とか言うと、言い合いになったり…。
そういうことが多かったですね。
優作
恭介が活躍してること自体は、なんとも思ってなかったんです。
ただ、それを周りから言われることが多くて、それがちょっと…。
僕は僕で努力をしていたつもりなんですけど、
一度"乗れない"っていうレッテルを貼られてしまうと難しくて。
──
そういう状況に、国枝先生はなんと?
優作
先生も、ずいぶんと馬主さんにお願いしてくださったんです。
でも、どうしても…。ただ、僕自身、
成績を挙げられていなかったが1番の原因だと思います。
──
栗東に行くことは、先生からの提案だったんですか?
優作
いえ、僕から先生にお願いしたんです。とにかく馬に乗りたくて。
当時、韓国に行けばいっぱい乗れるって知り合いに聞いて、
最初は
「韓国に行きたいと思っているんですが…」
って先生に相談したんですけど、
先生は「海外は10年早い」と。
それで「関西に行くなら、応援してやるぞ」って言ってくださったので、
「じゃあ、行かせていただきます」ということになって。
それ以前から
「思っていることがあったら、遠慮しないでどんどん言ってこいよ」
って言ってくださる先生だったので、思い切って言うことができたんです。
──
そうでしたか。現状を打破しなければ…と、
ご自分から行動を起こされたんですね。
優作
はい。相当焦ってましたから。
最初は、次の期の後輩がデビューするまでには、
美浦に帰る予定だったんです。
ただ、おかげさまでたくさん勝つことができたので、
先生が「その流れで行けるんだったら、
そっち(栗東)にいたほうがいいな」って。
移籍の提案は、先生からしてくださったんです。
──
迷いましたか?
優作
いえ、 先生が与えてくださった
チャンスだと思いました。
「よし、やってやろう!」っていう気持ちになりましたね。
 
恭介
僕も栗東に来たほうがいいんじゃないかって思っていたし、
実際、ふたりでそれについては話もして。
ただ、優作が栗東にきた当初は、
間違えられてばっかりで、
すごく面倒くさかったんですけど(笑)。
わかっているのに、わざと間違える人もいたりして(笑)。
優作
僕、目印になるように、トレセンでは絶対に
国枝厩舎の青いジャンパーを着るようにしてるんですけどね。
みなさんにも「僕は青い服を着ているので」って、
ことあるごとに言ってるんですけど、
いまだに間違える人がたくさんいます(笑)。
顔じゃなくて、服で判断してほしい…(笑)。
──
間違えることが、ひとつのネタになっているような…(笑)。
栗東ならではかもしれませんね。ところで、栗東に行って、
まず感じた美浦との違いはどんなことですか?
優作
ご飯に誘われる回数がすごく増えました!
恭介
関東にいたときは、優作、ずっとひとりだったんです。
優作
美浦でも厩舎の方はよく誘ってくださったんですよ。
ただ栗東では、ホントにいろんな厩舎の方が声をかけてくださって。
家に呼んでくださったりもするんです。それは美浦ではなかったことで。
恭介
僕も基本的に人と話すのは苦手なんですけど、
所属していた五十嵐厩舎も本当にいい方ばかりで。
フリーになった今も、よくご飯に誘ってくださったり、
すごくかわいがっていただいてます。
所属していたころと変わりなく、お世話になってるんです。
──
こうしてお話させていただいていると、
おふたりが目上の人に可愛がられるのがよくわかります。
優作さんは、栗東に移籍したとき、
どこかの厩舎に所属しようとは思わなかったのですか?
優作
それは思いませんでした。冗談なのかもしれませんけど、
国枝先生が「いつでも帰ってきていいんだぞ」
って、言ってくださっていたので。
今でも毎週、出馬投票の後には電話をくださるんですよ。

 
──
そうでしたか。遠くから見守ってくださってるんですね。
今年に入って騎乗数も勝ち星もグンと増えて。
国枝先生も安心なさってるでしょうね。
優作
まぁ、最初は3キロ減でしたからね。今期で減量も終わりますし、
今のままだとまた逆戻りしてしまうので。
国枝先生に心配をかけないように、
もっともっと成長しないとと思っています。
恭介
でも今年の前半は優作がすごく勝っていたいっぽうで、
逆に僕がまったく勝てなくなってしまって。
あんなに勝てないことは初めてだったので、
今度は僕がすごく悩みました。
気持ちの問題が大きかったんですけど。
──
でも夏競馬に入ってからは、本来のペースが戻ってきたように見えますが。
恭介
夏競馬の前、"このまま終わってしまうんじゃないか。
このまま落ちぶれて行くんじゃないか"
と思って、父に電話をしたんです。
父は、すごくポジティブに物事を考える人なので、
なんか話したくなって。
──
お父さまはどんな言葉を?
 
恭介
「もうダメかもしれない…」って言ったら、
「なに弱気になってるんだ。
もっと強気で行けよ。今までのお前は、
いつでももっと強気だったじゃないか」って。
それで"ああ、今まで自分は、そうやって生きてきたんだ"
って改めて思ったんです。すごく元気をもらいました。
気持ちが切り替わったっていうか、また頑張ってみよう!
とすごく思えて、実際、成績もまた安定してきて。
──
そういうときに、お父さまに相談できるっていいですよね。
恭介
相談というか、愚痴というか(笑)。
優作
でも、うちの父って、
騎手になるまでは話しかけるだけでも
気を遣ってしまうような存在だったんですよ。
──
えっ?
恭介
体が大きくて、すごく怖い父親でした…。
優作
騎手になるまでは、近寄ることもままならなかったですからね。
隣に座るのも、ちょっと…っていう感じで。ホントに厳しかったので。
そのぶん、母親にはなんでも話せたんですけど。
恭介
でも、すごくうれしかったことがあって。
あとで母に聞いたんですけど、僕らが競馬学校に受かったとき、
父が母に「今まで育ててくれてありがとう」
って言ったらしいんです。
「一番喜んでたのはお父さんだよ」って母に聞いて、
なんかすごくうれしかったんです。
──
素敵なお話ですねぇ…。でも、この時代にあって、
父親が怖い存在であることは、とっても大事なことだと思いますよ。
恭介
それは、今になってすごく思います。
優作
父親が怖かったおかげで、ほかの人にいくら怒られても、
それほど落ち込まずに済んでますから。
今でも父親以上に怖い存在はいません。
──
つらかった時期、優作さんはご両親に相談されたりはしなかったんですか?
優作
美浦にいたころは実家まで車で1時間くらいだったので、
たまに帰って一緒にご飯を食べたりしてました。
競馬の話はあえてしなかったんですけど、
「そのうち、いいことあるよ」って。不安だらけのときに、
そういう息抜きの時間を作ってくれただけでありがたかったです。
──
本当に素敵なご両親ですね!
 

2011年、こうして同じ舞台に立った優作騎手と恭介騎手。
次回は、騎手として同じDNAを持つがゆえのプラス点とマイナス点、
そして、それぞれに描く理想のジョッキー像に迫ります!

(第3回へ続く)


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