そして今年、ドバイである。
お手馬であるトゥザグローリーの遠征が中止され、
前走で手綱をとったゲンテンは乗り替わりとなった。
それでもエーシンヴァーゴウとダークシャドウ、
2頭の鞍上を任され、灼熱の砂漠の国へ飛んだ。
彼の地では、自らが競馬には騎乗しない
エイシンフラッシュの調教にもかり出され、手を貸した。
エーシンヴァーゴウの出走するアルクォーズスプリントは
オーストラリアや香港といったスプリントレベルの高い国からの遠征馬もいた。
そんな彼等の競馬ぶりをチェックする。
ダークシャドウの出るドバイデューティーフリーは
地元で何度も使われている有力馬に加え、
香港のこのカテゴリーでのトップ3、
すなわちアンビシャスドラゴン、カリフォルニアメモリー、イクステンションらが出走。
他にもその香港で香港マイルを2着に好走したイギリスのシティスケープなど、
ヨーロッパからも有力馬が参戦していた。
果たしてレース映像をみることで、
力関係を看破できる可能性はどのくらいあったのだろうか。
いや、もしかしたら読み切れたところで絶対的な能力の差の前に、
予習時間が無駄に終わることもあるのではないだろうか……。
しかし、それでも相手関係を知らないよりは知っていた方が
栄冠に近付ける可能性は確実に上がる。
だから私は福永に要求された通り、各出走馬のレースぶりが分かるVTRを用意した。
ところが、福永が各馬の競馬ぶりに目を通したのには、
私の思いとは多少の乖離があった。
少しでも栄冠に近付けるように、という根の部分は同じだったかもしれない。
しかし、枝や葉に至る部分の理由が少々違った。
福永は「相手との力関係を知る」そのためだけにVTRを観たのではなかった。
「どの馬がどのような位置につける馬なのかを知りたかった。
とくに重要なのは前へ行く馬がどれか。
そしてその馬はどのくらい粘れる馬なのか。
ポンとは出るけどズルズル下がってしまうような馬の後ろにつけて
勝負どころで一緒に下がらざるをえないような競馬は
したくないですからね」
「日本の競馬ならいちいちチェックしなくても大体わかるけど、
海外だと相手は初めて対戦するような馬ばかり。
だからこうしてみておきたかったんです」
乗ったことのない競馬場で、見知らぬ敵が相手となれば、
どこで地獄の扉が開き、暗黒の風が吹き出してくるか分からない。
勝利の女神の持つ天秤が、いつ誰に傾くか見当もつかない。
だからこそ、レースの設計図を引き直す必要があったのだ。
ヴァーゴウは好スタートから馬場の中ほどへコントロール。
前半は好位で進めた。
しかし、各馬が追い出す勝負どころから先、
そのスピードについて行けず、離されてしまった。
ダークシャドウも出遅れることなく好スタートを切った。
中団につけ、4コーナーでは前を射程圏に入れた。
先頭をすぐ左前にみる位置で直線を向いた。
しかし、こちらもそこまでだった。
ゴーサインに対する反応は鈍く、後退した。
これらの結果に関して、ユーイチは言った。
「どちらも結果は残せなかったけど、
レースVTRをチェックしたお陰で、イメージ通りの競馬は出来ました。
ヴァーゴウはこれからという時、全く反応出来なかったけど、
好位置で競馬を進めることは出来た。
ダークシャドウは太かったのか最後の伸びを欠いたけど、
こちらも考えていた通りの位置につけることが出来ました」
勝つか負けるかは馬の能力もあれば時の運もある。
ただ、ジョッキーとしての仕事は全う出来た。
福永はきっぱりと前をみつめ、そう語った。
さて、そんなユーイチではあるが、
海外への想いはあまり変わっていないようだ。
「外国語が駄目」という理由が「時期尚早」に変わり、
「挑戦するのではなく、
互角に戦える状態で行かないと意味がない」に変わった。
しかし、いずれにしても積極的に海外へ出ようという気持ちを
あまり感じられないことには変わりがない。
この点は、
"海外への遠征は私生活からハードな闘いを強いられる。
ハードな闘いをすればするほど、勝負を放棄してしまうこともハードになる"
と考えている私と、意見の食い違う点である。
だから、海外競馬の話をすると、しばしば二人の言葉は90度の角度を作ってぶつかる。
今回のドバイでも、こんなシーンがあった。
「海外へ遠征すれば、その後の成績に反映しようがしまいが、
その遠征での経験が無駄ということではない。
本人は他の誰にも分からない経験を沢山積めているのは間違いない」
と言う私に対し、ユーイチはかぶりを振って応えた。
「人間としての経験がどうかは分かりません。
でも、騎手であるなら帰国後の成績として反映させないと意味がない」
この例に限らず、彼と意見が食い違っても私は多くの反論をしない。
適当なところで切り上げる。
自分の意見が間違っているとは思わないが、
だからといってユーイチの意見に反対するわけでもないからだ。
競馬は数学のようにデジタルな答えが求められる世界ではない。
食の嗜好にも似て、
私が「美味しい」と感じた食べ物を、彼が「美味しくない」と言ったからといって、
その意見が間違っているとは言えないのだ。
また、勿論、自身の考えがそうだからと言って、
目的意識もなく闇雲に海外へ行くことが良いことだとは私も思っていない。
まして、ユーイチはアメリカでGIを勝ったり、アスコットで人気馬の手綱をとったりと、
それなりの経験を積んできたジョッキーだ。
海の向こうで、日本では経験したことのない誇りや疲労、
そして喜びや悲しみといった感情が複雑に絡み合う雰囲気をも味わってきた男だ。
そこまでの経験をしている男が旗幟鮮明に発する言葉は尊重すべきだと思っている。
今回の遠征の最後に、ユーイチは言った。
「普段とは違う環境で乗れて、
そんな中で緊張感をどう消化していくべきなのか。
改めてそういう経験をできました。
これは良い勉強になったし、今後に生かしていかなければ、と思いました」
日本だけで乗っていれば
知らず知らずのうちにルーティンワークになり兼ねないサイクルに、
海外遠征が一つのアクセントをつけてくれたともとれるそんな言葉。
少なくとも小さな思考の淀みに固執しないバランス感覚の大切さは
身を持って感じたと思える言葉と言えるだろう。
勿論、だからといって、
この経験が即帰国後の成績に直結するわけではないことは分かっている。
それでも海外遠征に比べれば、日本国内の競馬は地図も標識もない
荒れ野を行くわけではないことは、改めて感じたのではないだろうか。
まだ勝ったことのない日本ダービーだって、
海の向こうの戦いに比べれば自分の取るべき進路はみえていることだろう。
そんなユーイチが、日本ダービーではどんな手綱捌きをみせてくれるのか……。
日本の競馬ではどういう騎乗を披露してくれるのか……。
ドバイから帰国した福永祐一に改めて注目したい。
(文中敬称略)