当事者の主観と第三者の客観。

それは、同じ事象に対しても、必ずしも同じ着地点をみるとは限らない。

岩田康誠をダービージョッキーへと昇華させたディープブリランテ。
唯一無二のこのパートナーとともに、岩田は競馬発祥の地・イギリスへ飛び、
メッカ・ニューマーケットの丘を共に駆け上がった。
挑んだのはキングジョージ6世&クイーンエリザベスS。
ヨーロッパ中のホースマンが注目する一戦だった。

かの地の調教場や厩舎で言葉を交わした。
ニューマーケットのイタリアンレストランやロンドンの和食料理店で意見を交えた。

期待と不安。岩田の胸中に耳を傾けつつ、
意見の食い違った日本ダービー前にした会話を思い出した。

ブリランテと岩田のコンビがクラシック獲りを懸けて臨んだ皐月賞。
向こう正面の入口では行きたがる素振りをみせた。
その後は落ち着いたものの、
結果はゴールドシップとワールドエースの末脚に捉えられての3着。
道悪としては速い流れで、差し・追い込み勢が上位を独占したことを思えば、
掛かって先行しながらも3着に粘ったことは評価できた。
しかし……。

しかし、次の目標となる日本ダービーは、更に2ハロン距離の延びる2400m。
距離が長くなることで、一冠目の1、2着馬の末脚は"より生きる"と思われたし、
何よりもっと流れが落ち着き易くなるであろうことで、
ブリランテの折り合いは更なるマイナスベクトルへ向かうと思えた。

ダービー前に岩田の家にお邪魔した私は、
あくまでも客観的意見として、この私見を岩田に述べた。
それに対し、岩田はきっぱりと答えた。

「まぁ、みていて下さい。
  皐月賞みたいに折り合いを欠くことは絶対にありませんから!」

ダービーの3週間前に騎乗停止処分を喰らった。
オークスで騎乗予定だったジェンティルドンナの騎乗もかなわなくなり、
落ち込んでいると思えた岩田を、私は海外競馬観戦の旅に誘った。
しかし、岩田はかぶりを振った。

「行きませんよ」

二つ返事での答えに、たとえ騎乗停止処分になっても
やることは山ほどあると言っているように思えた。
そして、事実、しかるべきことをやっていたと、私は後になって知る。

騎乗停止中の岩田は、矢作芳人に申し出て、ブリランテの調教をかって出た。
それまで調教をつけていた調教助手の矜持を思い、一瞬、返事を躊躇った矢作。
しかし、その助手も本心か否かはともかく
「プレッシャーから解放される」と答えたことから、
岩田とブリランテのダービーまでの二人三脚にゴーサインが出された。

任されたことは同時に責任を伴った。
自ら申し出て、結果を出さないわけにはいかない。
もっと具体的に言えば、皐月賞と同じ競馬は出来ない。
岩田は毎朝、ブリランテに跨り、折り合いに専念する調教を課した。
人から助言を受けて薦められたハミを厩舎に持ち込み、変更してもらった。
矢作と意見がぶつかり、喋っている最中の電話を切られてしまったこともあった。
しかし、それも互いがブリランテをダービーで勝たせるために
一所懸命だったからこその衝突だった。

結果、その真剣さに裏付けされた努力は、東京の2400mという大舞台で華を咲かせた。
ダービーのレース後、岩田は私の顔をみつけるなり、口を開いた。

「ほら!折り合ったでしょう!」

当事者の主観は時に感情の後押しが大きくなり過ぎて、客観性を欠くことがある。
しかし、この時の岩田の主観は単なる感情でも直感でもなかった。
経験に裏打ちされた冷静な意見だったのだ。

このことに私が気付いたのは
ダービーでブリランテが粘り切った姿をみた後のことだった。
客観的に判断していたと思っていた私の考えの方が、完敗だった。

共にイギリスへ飛ぶ前、函館でも顔を合わせた。
喫茶店で紫煙をくゆらせる岩田に、ダービーの話を振った。

「ダービー前の3週間で、
  ブリランテとは本当に一つになれたと感じたんです。
  こんなことは初めてだった。
  だから折り合える自信があったし、
  そうなれば勝ち負けに持ち込めると思ったんです」

それだけ言うと、岩田は自らダービーの話に終止符を打つように、続けた。

「アスコットって、実際、どうでしょうね?」

頭の回転が悪いわけではない。
いや、むしろ良いからこそ、言葉が追いつけないことがある。
この質問もそうだった。

でも、少し考えると言わんとしていることが分かる。
岩田はアスコット競馬場がどのような競馬場かと聞いているわけではない。
彼は過去にかの地での騎乗経験があった。
10年のシャーガーCに選出され、2400mという距離のレースにも騎乗していた。

つまり、質問の意味するところは、
"アスコット競馬場がブリランテにとってどうか?"ということだ。

質問の意図を理解できれば、いくつかの答えが浮かび上がる。

過去にアスコットで競馬をした日本馬は何頭かいる。
世界的にみるとレベルの低い英国のスプリント戦に出走した
アグネスワールドなどを別にすれば、
好走と言えるのはキングジョージで3着したハーツクライくらい。
二冠馬となるエアシャカールも、ダービー馬シリウスシンボリも
有馬記念勝ちのスピードシンボリも皆、勝ち馬から大きく離されて
青息吐息でゴールに辿り着くのが精一杯だった。

私は岩田に言った。

「日本馬が弱いとか、欧州勢が強いではなく、あまりに馬場が違い過ぎる」

つまり、日本の馬場で好走できるような馬は、
アスコットで善戦するのは難しい……と。

ふむふむという感じで頷いた岩田。言った。

「そうやろなぁ……。
  深いし、高低差もあって、すごい馬場だったもんなぁ……」

馬場に対しての不安は、この時点でいくら会話を進ませても拭い去ることは出来ない。
どう転んでも推測の域を脱すことは出来ないからだ。
だから話題を変え、岩田自身について突っ込んでみた。

06年、デルタブルースと共に挑んだメルボルンC。
この時も現地で彼の姿をみていた私は、
レース前、緊張に顔をこわばらせていたことを知っていた。

「あの時は極度に緊張して、心臓はバクバクするし、
  指が震えているのが自分でも分かるくらいでした。
  でも、今はそんなことはありません。当時とは経験が違います」

中でも大きな経験だったのが、昨年のジャパンCだと続ける。
ブエナビスタを栄冠に導いたそれの何が、
岩田に大きな自信を持たせることになったのか……。

「ブエナの手綱を任されて3戦、結果を出すことが出来ないでいました。
  そんな状況で、絶対に折り合いを欠くことは出来ない東京2400m。
  そこで折り合わせて勝たせてあげることが出来た」

その経験があるから、今はもうどんな状況下に置かれても、
極度の緊張をすることはないと続けた。

それが国内でブリランテのキングジョージについて交わした最後の会話だった。
そして、その約2週間後、私たちは英国で、話の続きをするのだった。

(文中敬称略)


後編へ続く

岩田康誠、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS挑戦
海の向こうでの敗北にダービージョッキーは何を得たか?!

ジョッキーインタビュー!CLUB GRIP トップへ戻る