英国・ニューマーケット。
現地時間7月19日の午前4時過ぎ。
岩田康誠は久しぶりにディープブリランテの背の上にいた。

大一番であるキングジョージ6世&クイーンエリザベスSは2日後に迫っていた。
このレースに向けた最終追い切りは2日前、すなわち17日の朝に行なった。
交流レースの関係で、追い切りに駆けつけることは出来なかった岩田。
翌日、ブリランテをみて「具合は良い」と矢作芳人から聞いた。
そして、更に翌日となる19日、実際に自分でブリランテの感触を確かめた。

ニューマーケットの有名な調教用坂路であるウォーレンヒルを2本、上った。
1本目を終え、1度、スタート地点まで戻る際、
パートナーの鞍上から当方に向かい、言った。

「凄く良い。凄く良いですよ」

後に何がどう良かったのかを聞くと、「掛からない」

「落ち着いて、手綱が必要ないんじゃないかってくらい折り合っていた。
  2本目もムキになることなく走ってくれた。良い勝負になるんちゃうの?」

最後はこちらに問いかけてきた。

岩田の主観。

函館で話した馬場適性云々という客観的な話を忘れたわけではないだろうが、
あまりの具合の良さが岩田の主観の舵を大きく方向転換させたということか……。

そこで敢えて岩田に言った。

馬場がどうか?だと思う、と。

これに対し、岩田が答える。

「馬場をこなせるかどうかということは分かっています。
  だからこそ、折り合いが大事なんだと思うんです」

ダービー前の二人三脚を思い起こすように、1度、視線を遠くに投げて、続ける。

「皐月賞では向こう正面に入っても行きたがっていた。
  ダービーでは向こう正面では折り合ってくれた。
  でも、アスコットでは、スタートした直後から
  折り合わないといけないと思う。そういう視点でみると、
  今朝の調教の感触は凄く良く思えたんです」

アスコットの2400メートル。スタート後、しばらく下り坂が続く。
おむすび型のコースの頂点部分を曲がると、今度は一転して上り坂。
これがゴールまで延々と、そしてダラダラと続く。
こんなコースだからこそ、そして、そんな舞台に古馬の強豪が揃うからこそ、
「勝とうと思えばスタートしてすぐに折り合わないと話にならない」
と岩田は強く、言う。
ダービーも道中は折り合ったが、今度は道中だけでなく
スタート直後から折り合わないといけないのだと……。

ダービー前には
「皐月賞みたいな(折り合いに苦労する)ことはない」と断言していた。
そして、今回の調教の感触でも、
「手綱が不要と思うくらいゆっくり走れた」と言った。
しかし、それでもやはり折り合いは不安になるものなのか……。
サラブレッドは機械ではない。
生き物だから、覚えたと思ったことでも、あっさりと忘れてしまうこともある。
そんなことを危惧した発言か?と問うと……。

「いえ、今回も皐月賞の前半みたいにひどく掛かることはないでしょう。
  ここまで教え込んできたし、
  以前みたいに激しく行きたがることはありません。
  でも、多少、行きたがる可能性はある。
  そして、今回のコースだと、その"多少"が命取りになるかもしれない。
  そういうことです」

頭の中には幾通りもの折り合わすための策が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。

「本当は内へ入れてジッとしたい。
  ただ、これだけの名手が揃ったレースで、
  下手に内に入ると外へ出してもらえなくなる可能性もある。
  そもそも内へ入る隙があるかも分からないし、
  ペースがどうなるかも分からない。
  折り合わせるように努力はするけど、
  正直、どうにも仕方ないと部分があるのは事実です」

内が良いのか、外が良いのか、入れるべきか、出すべきか……。
いくら権謀術数を張り巡らせても、レースが生き物である以上、
スタートしてみなければ対処のしようがないことも
多々あると考える胸の内がみてとれる。

翌20日、レース前日の朝もブリランテの手綱をとり、己を知るよう努める。
その上で、敵を知り、地の利を知ろうとする努力も怠らない。
当方のパソコンを貸してくれと言い、
過去のレースや他の出走馬のレースぶりにも目を通す。
キングジョージがどういう競馬になりやすいのか、今回はどういう展開になるのか…。

しかし、そのような外的要因は、競馬だからどうしようもないこともあると
言わんばかりに、岩田は改めて力強く言葉を放つ。

「とにかくブリランテの状態は申し分なく良い。
  ダービーよりもはるかに良い状態。
  ダービーが"5"なら今回は"7"。そのくらい抜けて良い」

それでも結果(げんじつ)は皆さん、ご存知の通り。
欧州の高くて厚い壁、アスコットの深くて長い芝の前に、
ブリランテと岩田は10頭立ての8着に沈む。
先着出来たのはペースメーカーの2頭に対してだけ。
それも最後は追うのを辞めている相手に対し、
追って僅かに交わすのが精一杯という競馬に終わってしまった。

レース前、裸足で馬場を一周した岩田。レース後に、言った。

「最初のコーナーからしばらく続く上りの直線の部分が
  雨だか朝露だか分からないけど、かなりびしょびしょでした。
  外枠も影響してスタートから内へ入れることが出来ず、
  いくらか行きたがった。
  力んだのはほんのちょっとだけど、スタミナの要る馬場だったから、
  それだけでも結果的にはかなり影響したということでしょう」

危惧していた馬場への適性、そして、折り合い。岩田の口から出た敗因は、
レース前に「この部分は仕方ない」と話していた外的要因だった。
だから、続けて言う。

「ブリランテは落ち着いて、良い状態だったから、
  僕も緊張せずに乗れました。
  緊張したらダービー馬に失礼と思えるくらい良い状態だったんです」

陣営としてやれることはやった。ジョッキーとしてやるべきことは出来た。
その思いが、岩田に恥じる必要はないと語らせた。

「結果は残念だったけど、恥じる必要はありません。
  これだけ良い状態で臨むことが出来たのだから、ガックリすることはない。
  ちゃいますか?」

同意を求められなくても、同意できた。
競馬は負けることが圧倒的に多いスポーツである。
だから、"勝った負けた"よりも重要なのは、良い状態で挑めたか否か、なのだ。
もし、今回のレース前、英国に渡ったブリランテが調子を崩していたら、
たとえ結果がもっと良かったとしても、
岩田は「恥じることはない」とは言えず、後悔しただろう。

しかし、状態だけは良く仕上げて挑むことが出来た。
だからこそ、8着という結果にも「恥じる必要はない」と胸を張って言えたのだ。

「帰国後のブリランテをみて下さい。
  今まで以上に強くなった彼を、必ずお見せします」

午後7時を回ってもまだまだ日の暮れない英国の空の下、
全レースを終えた王室所有の伝統の競馬場には、コンサートの大音響が轟いていた。
そんな空と喧騒に囲まれて、
岩田は今回の遠征が決して無駄にはならないことを誓った。

(文中敬称略)


岩田康誠、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS挑戦
海の向こうでの敗北にダービージョッキーは何を得たか?!

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