「あ~、ダメだ! ヘタクソ!」

自分に対してそう声を荒げたのは川田将雅。
初めて経験するフランスの競馬でまったく勝つことが出来ず、
不安の海に溺れかけていた。

弱肉強食は古来人の世の習い。勝負の世界で弱い者は強い者に食われる運命にある。
しかし、川田の苛立ちはそこではなかった。
弱いと分かっていて食われるなら納得が出来たのだ。

「明らかに上手く乗れなかったのは1度だけなんです」

好位で、と言われたのに出遅れて追走もままならなかった。
そんなことが1度だけあったと語る。
それ以外は一応、思った通りの競馬が出来ている。

でも勝てない。

なにか掴みどころのない寂寥(せきりょう)の影が横顔に漂い出ていた。

よい馬に乗れないと勝てないのは洋の東西を問わない。
いきなり行ったフランスで、人気馬に乗れることはまずなく、
故に勝てないのもある意味、仕方ない。
でも、川田の思考は「仕方ない」では留まらない。

「日本でだってそういう環境から、考えて乗って這い上がってきたんです。
  それが何故、フランスでは通用しないのか……。
  『これで果たして本当に何か得ていることはあるのか?』と悩む毎日です」

ちゃぶ台をひっくり返すようなスパルタ親父の下で育てられた。
祖父も曾祖父も馬の世界で生きていた。将雅は四代目。
歌舞伎を意識した将雅のロゴマークは代々継がれる自らの血を表していた。

小学1年の時に父が騎手を引退。バトンを受けるように3年の頃から乗馬を始めた。
以来、中学を卒業するまで毎週末、乗馬クラブで寝泊まりをして馬に乗った。
馬術の県大会で3連覇を果たすなど、
佐賀県の乗馬をする人たちの間で、川田を知らない人はいなかった。

ジョッキーになった後も08年にキャプテントゥーレで皐月賞を制覇。
自身初のGI勝ちを飾ると、10年にはビッグウィークで菊花賞勝ち。
昨11年は自身初となる年間100勝を突破。
この春には代打騎乗のジェンティルドンナを見事に樫の女王に導いてみせるなど、
順風満帆といえる活躍をみせた。

しかし、今まで海外志向はなかった。
突然の渡仏にはどんな心境の変化があったのか……。

「『日本を空けて、乗り馬がいなくなるリスクを背負ってまで、
  海外へ行って何かを得られるのか?』という考えがありました」

いわば一種の恐怖心があったため、海外に出ようとは思えなかったのだ。
しかし、人の気持ちは周囲の環境やその時々の状況によって変わるものである。

「昨年は一時、リーディング争いに加われました。
  それが年末に一気に上の二人に突き放されました。
  これは何か、変化を求めないといけないと思ったんです」

そんな時、海外は変化を求めるきっかけ探しにはよい舞台ではないか……
と考えたと言う。

簡単に勝てないことは承知しての遠征。

突然、自ら打った句読点により、章は大幅に変わったのだ。

「覚悟はしていたけど、ここまで勝てないとは……」

スミヨン、ルメール、ペリエにメンディザバル。
来日経験のあるジョッキーは皆、親切にしてくれると言う。

「ゴルフや食事に誘ってくれます。助けてくれる人の大切さを知りました」

しかし、こと競馬に限るとそう簡単に席を譲ってはくれなかった。

ジョッキーの世界もラベルや値段で味が決まることがままある。
国内にいれば、"川田将雅"の名前でそれなりの馬は集まる。
しかし、海の向こうではそうはいかない。
あらかじめ敷かれていたレールの上を歩くようにはいかないのだ。

「スタートを決めて、好位をとり、スムーズに回ってきても、
  最後、伸びない。誤魔化しが利かない」

なぜか。

「スローペースが多く、直線は長い。
  最後のヨーイドンで実力の差が如実に出るケースが多い」

だから、実力の劣る馬で逆転するのはなかなか難しいと顔をしかめる。

その上で、自らの手綱捌きに関しては次のように語る。

「ほとんどがスローのレースのため、
  スタートを決めやすいし、狙ったポジションをとれる。
  直線もそれなりにバラけるから全く追えないなんてこともない」

冒頭に記したように、上手く乗れなかったのはレアケース。
大体は考えていた通りにコントロール出来ているという。

加えて、上位のジョッキーは確かに上手いが
彼等はしょっちゅう日本にも来ているので、
その上手さは以前から知っていることだと言う。
だからフランスに来て改めて驚かされたというわけではないと語るのだ。

しかし……。

それでも勝てない。

だから、将雅の悩む日々が続いた。

時には慣習の違いに泣かされることもあった。

「内を空けて好いポジションで走っていたら
  外の馬のジョッキーに『内へ行け』と言われました。
  暗黙のルールかと思い、内へ行ったら、
  今まで自分のいた好位にそのジョッキーに入られました」

ただそいつが好位をとりたいだけと分かっていれば、
絶対に譲ったりしなかったのに……と唇を噛んだ。

時には言葉の壁が立ちはだかった。

「裁決員に呼ばれた時も通訳などをつけさせてもらえませんでした。
  自分なりに必死に弁明しました」

それだけではない。思いもせぬアクシデントに見舞われたこともあった。

後編へ続く
(文中敬称略)


川田将雅、真のエリートになるために
~初の海外遠征で待ち受けていた試練~

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