(取材日=2012年10月24日)

──
いつごろからジョッキーになろうと思ったのですか?
太宰
保育園のときですね。
あの頃は厩舎に住んでいましたので、
ドアを開けたら、
すぐそこに馬がいるという環境だったんです。
だから、自然とジョッキーになりたいと思いましたね。
──
ジョッキーになるために、何かされたことはありますか?
太宰
当時、栗東の乗馬苑は
小学校6年生から通うことができたので、6年生から乗馬を始めました。
それくらいですね。
──
07年にお亡くなりになられた、お父さまの太宰義人氏は
当時でも珍しい大卒のジョッキーなんですよね。
太宰
そうなんですよ。
大学に馬術部があって、そこで初めて馬に跨ったらしいです。
卒業してからジョッキーを目指したので、
43キロまで落とすのは大変だったみたいですよ。
──
やはり、お父さまは太宰騎手にジョッキーになってほしいと思っていたのですか?
太宰
それがなってほしくなかったみたいなんですよ。
僕は昔から背が高かったのですが、親父も減量に苦しんだ人だったので、
息子に同じ思いをさせたくなかったんでしょうね。
──
「ジョッキーになりたい」と言ったときは、反対されました?
太宰
相談はしませんでしたよ。
勝手に(競馬学校の)願書を出しました(笑)。
乗馬に通うことも言いませんでしたね。
ジョッキーになるのが当たり前だと思っていましたから。
トレセンで育った男の子の大半は、
最初はみんなジョッキーに憧れるんですよ。
そこから身長が伸びたり、視力が落ちたりして、
なりたい職業が変わっていくんです。
──
太宰騎手は身長が高かったとおっしゃっていましたが、あきらめなかったんですね。
太宰
気持ちは変わりませんでしたね(笑)。
──
デビューから05年までお父さまの太宰厩舎に所属されていましたが、
所属先はご自分で希望されたのですか?
太宰
僕は拒否していたんですよ。
よその厩舎でやってみたいという気持ちが強かったので。
ただ、調教師の息子を預かってくれる厩舎がなかなかなくて…。
やっぱり気を遣うからでしょうね。
結局、親父に雇ってください、とお願いしました。
──
厩舎に所属するようになって、お父さまとの関係は変わりましたか?
太宰
昔から怖かったので、変わらなかったですね。
昔の頑固おやじみたいな人で、
デビューしてからも怒られっぱなしでした。
──
一番怒られたことって何ですか?
太宰
ケガをしたり、失敗したら、もう「今すぐ帰れ!」って言われましたね。
ただ、怖いんですけど、親父はその気持ちを後に引かないんですよ。
すぐに切り替えてくれるので、そのあたりはやりやすかったですね。
──
レースでの指示はあったのですか?
太宰
うーん、とくにはないですけど、
騎乗時の姿勢についてはよく言われました。
身長が高いから、きれいに乗れと。
──
いつごろから怒られなくなりましたか?
太宰
親父が亡くなるまで、ずっと怒られていましたよ(笑)。
ホント、ただただ怖い人でした。

──
デビューの年は、同期の池添謙一騎手と新人賞を争いましたよね。
結果は太宰騎手が34勝で、池添騎手が38勝。
惜しくも逃しましたが、争っている時は池添騎手を意識していましたか?
太宰
ずっと、していましたね。幼なじみですから。
子供の頃の習い事は全部一緒。
塾をやめて別の塾に行ったら、また一緒(笑)。
小学校も中学校も競馬学校もずっと一緒でした。
──
その幼なじみの池添騎手に負けたのは、相当悔しかったのでは?
太宰
12月に障害練習をしている時に落馬してケガをしたんです。
それでレースに乗れなくなって…。あれが痛かったですね。
──
それでも1年目ながらGI(98年菊花賞、マウントアラタに騎乗して13着)にも騎乗されましたし、
順風満帆なデビュー年でしたよね。
太宰
本当に恵まれていました。もっと勝たないといけませんでしたね。
──
その1年目が終わって、これからどんなジョッキーになっていきたいと思っていましたか?
太宰
勝てるジョッキーになりたかったですし、
人が喜ぶようなレースをしたいと思っていましたね。
──
2年目以降は、デビュー年で挙げた34勝をなかなか超えられず、
重賞もあと一歩で届かないことが続きました。
この時期はどんなお気持ちだったのですか?
太宰
「何で勝てないんだろう? 運がないのかな…」と思いましたね。
若かったので、人のせいにしたこともあります。
今だからわかるんですけど、
結局、技術も含めて、
いろいろ足りない面があったということです。
──
あと一歩で届かなかった重賞のなかで、とくに印象に残っているのが01年の菊花賞です。
マイネルデスポットに騎乗されて、11番人気ながら果敢に逃げて2着でした。
当時を振り返ってみていかがですか?
太宰
レース前は一発やってやろうという気持ちはありましたが、
まだ4年目でしたからね。
実際のレースではまったく余裕がなかったです。
とにかく必死に乗っているだけでした。
後ろが離れているというのはわかっていたんですけどね。
──
直線に入った時は勝ったと思ったのでは?
太宰
その時点では、思いませんでしたね。
ゴールがどんどん近づいてきても誰も来なくて、
「来た!」と思ったら、そこがゴールでした。
ひょっとして勝っているかなと思ったんですが、
検量室前に戻ったら、
やっぱり負けていましたね(苦笑)。
──
マイネルデスポットは、どういう馬だったのでしょうか?
太宰
未勝利の頃から長い距離は合うだろうなと思っていました。
ただ、ちょっと気が悪くて、ハナに行かないとダメな馬でしたね。
馬群に入ると怖がるし、ラチから離れようとしない。
菊花賞の時もラチをこすって走る感じで、3000mをピッタリ走っていましたから。
──
デスポットとの菊花賞が、これまでで一番悔しかったレースですか?
太宰
デスポットもそうですし、
エイシンサンルイス(00年プロキオンS、根岸S、シリウスSを連続2着)
重賞を勝たないといけなかったし…、いっぱいありますね。
ただ、それが
今の自分の糧にはなっていると思います。
──
今の太宰騎手が乗ったら、結果は違っていたと思いますか?
太宰
違っていたでしょうね。

(第3回へ続く)

太宰啓介騎手インタビュー『CHANCE!!』

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