その瞬間、日本人の叫び声がこだまのように鳴り響いた。
香港・沙田競馬場にいた日本人は、地鳴りにも似た感覚に震えた。

「やった!」
「すごい!」
「おめでとう!」

そこここで日本語がしばらくの間、飛び交った。

忘れもしない2001年12月16日の話である。
それまでにも日本馬が香港で勝ったことはあった。
95年、フジヤマケンザンが、そして98年にはミッドナイトベットが
いずれも当時GIIだった香港カップを制していた。
しかし、本当の意味で、
日本馬が香港での地位を確固たるものにしたのは01年12月16日だった。

幕開けは香港ヴァーズ。
この日の第5レースに組まれていた2400メートル戦だ。
この国際GIを日本から乗り込んだステイゴールドが、圧倒的1番人気に応えて勝利した。

続いたのは香港マイルに出走したエイシンプレストン。
ステイゴールドの勝利に
「さすが(武)豊さん」と感服していたのはユーイチこと福永祐一。
早目に前を捉える積極策で、ユタカに続き香港で国際GI勝利騎手となってみせた。

トリは香港カップに挑んだアグネスデジタル。
99年から国際GIに昇格したこのレース。
沙田競馬場の2000メートルはスタートしてから
最初のコーナーまでの距離が短いため外枠が不利とされていた。
しかし、手綱をとった四位洋文は、
外枠に入ったアグネスデジタルで、絶好のスタートを決める。
それでも、ハナに立つことはなく、上手に好位にとどめると、
道中は流れに沿って進出。
最後は早目先頭から後続の追い上げを退けてみせた。

日本勢はこの日、行なわれた香港の国際GIを3勝。
香港に於ける日本競馬の新たなるページは間違いなく、この日、開かれた。

自らが開いたページをめくり続けたのが
エイシンプレストンとアグネスデジタルだった。
日本馬3勝という快挙の翌02年。今度はQEII(GI)に揃って挑戦した。
結果は福永の乗るエイシンプレストンが、四位操るアグネスデジタルを半馬身退けた。
2頭の前にゴールラインを切った馬はなく、いわゆるワンツーフィニッシュ。
異国で改めて日本馬の強さを見せつけた。

快挙はさらに続いた。翌03年のQEII。
SARS騒ぎで遠征を断念する陣営も出る中、エイシンプレストンはまたも香港へ飛んだ。

「トモの状態が良くなかったけど、
  スタッフが懸命にアイシングするなどして、
  必死に状態を立て直してくれた」

ユーイチは当時、そう語っている。
そして、結果は、香港で3度目となる国際GI優勝を飾ったのだ。

01年を日本馬に於ける香港遠征元年と位置付けると、
ちょうど干支がひと回りした12年、QEIIをルーラーシップが制した。
同じ角居勝彦厩舎の馬では、05年にハットトリックが香港マイルも勝っている。
今や、香港競馬はやみくもに挑戦するのではなく、
勝ちに行くレースとなった感がある。

その先兵となった感のあるユーイチ。
香港では最も有名な日本人騎手の一人となった彼は、
12年、インターナショナルジョッキーズチャンピオンシップ(以下、IJCS)に招待された。
前年に続き、2年連続2度目の出場だ。
香港版のワールドスーパージョッキーズシリーズと言えるIJCSは、
国際レースの行なわれる沙田競馬場ではなく、
ハッピーヴァレー競馬場での開催となる。

「この競馬場は世界でもあまりない形態。
  こういう機会に恵まれて大変、光栄です」

計4戦のポイントで争われるこのイベントで
「前年より騎乗馬にも恵まれた」(ユーイチ)と言うように、
いきなり2番人気馬に騎乗。
2着でポイントを稼いだ。

しかし、残念ながら活躍はここまでだった。
残る3鞍で3番人気馬にも2頭乗ったが、結果は11、8、10着と完敗。
ポイントを加算することは出来なかった。

しかし、誤解を恐れずに記せば、
ユーイチにとってこの日の結果など、ほんの枝葉末節に過ぎなかった。
今年は2カ月に及ぶアメリカ遠征も経験し、ひと皮剥けた。
IJCSを終えた後、大局的な見地に立ち、言った。

「日本の馬はもう世界レベルになっています。
  あとは僕らジョッキーが世界レベルに達さないといけない。
  そのために、僕もどんどん海外へ出て挑戦、
  進化していかなくてはいけないと考えています」

幸い、日本人は体型も繊細な思考能力もジョッキー向きだと思うと、
続けた後、呟くように〆た。

「昨年(11年)、リーディングを獲って少しは極められたかと思ったけど、
  今年アメリカへ行って、
  まだまだ学ばなければいけないことが沢山あることに気付いた。
  世界を舞台に活躍できるジョッキーになれるよう、努力していかないと…」

後編へ続く
(文中敬称略)


歴史を継ぐ、ジョッキー達の香港競馬・第二章

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