「日本の馬はもう世界レベルになっています。
  あとは僕らジョッキーが世界レベルに達さないといけない」

12月5日、香港ハッピーヴァレー競馬場で行なわれた
インターナショナルジョッキーズチャンピオンシップに参戦した
ユーイチこと福永祐一は、イベント終了後の会見でそう語った。

この言を待つまでもなく、
香港に於ける日本馬の活躍が顕著であることは、前編で記した通りだ。

GIの勝ち馬だけをみても、01年のステイゴールド、エイシンプレストン、
アグネスデジタルに始まり、ハットトリックやルーラーシップなど、
数々のジャパニーズホースが沙田にしっかりと蹄跡を残してきた。

しかし、そんな中、どうしても崩せない壁があった。
最も短い距離ながら、
最も高く分厚い壁としてそびえたっていたのが香港スプリントだ。
02年から国際GIとなり、
06年に距離が1000メートルから1200メートルに変更されたこのレース。
GII時代や1000メートルの頃を含め、
いずれも日本馬は太刀打ちできない結果が続いていた。

日本馬のGI3勝で湧いた01年も、このカテゴリーだけは二桁着順に惨敗していた。
それも、ダイタクヤマトとメジロダーリングという日本のGIホースが臨みながら
12、13着と箸にも棒にも掛からぬ結果に終わっていた。

そして、何より日本勢を震え上がらせたのは、
そういった結果が一過性のものではなかったことだ。
ショウナンカンプ、ビリーヴ、サニングデール、
カルストンライトオにローレルゲレイロなどなど……。
日本なら名スプリンターと言われる存在の猛者達が挑んでは
完膚無きまで蹂躙され、帰国を余儀無くされた。
10年まで、香港スプリントに出走した日本馬は述べ12頭。
結果、最高着順が7着。
1桁着順でゴールに辿り着いた馬は僅かに3頭しかいなかった。

そんな負の歴史に、句読点を打とうかという出来事が起きたのは11年。
この年、このレースに挑んだのはカレンチャンとパドトロワ。
中でもカレンチャンは当時、日本の最高スプリンターとして、海を越えていた。
とは言え、過去の結果をみると、苦戦は必至と思われた。ところが……。

ケンイチこと池添謙一に導かれたカレンチャンは、
好スタートから好位に控えると、
道中も人気の一角ロケットマンの後ろで絶好の手応えをみせた。
勝負どころで伸びを欠いたロケットマンが後退してきたため、
一度下げてから外へ出さなくてはいけなくなった分、
踏み遅れるような形となり敗れたが、それでも5着。
日本馬として過去最高の成績は、
歴史の扉のドアノブに確実に手を掛けたと思える結果だった。

1年後の12年12月9日。一気にその扉を開かんと、2頭が香港に渡った。
1頭は前年に続く挑戦となったカレンチャン。
そして、もう1頭は直前に行なわれたスプリンターズSで
カレンチャンを破ったロードカナロアだった。

同じ安田隆行厩舎の2頭は、
海を越えて再びワンツーフィニッシュをすべく、香港の高く分厚い壁に挑む。
鞍上は前走同様、カレンチャンがケンイチ、ロードカナロアはヤスナリ(岩田康誠)だ。

レース前日、2人はともに日本での騎乗を終えてから、関空へ移動。
同じ飛行機で香港入りした。
日付けが変わろうかという時間帯に、揃ってホテルのバーにいた。
パソコンでレース画像を観ながら他国の馬の情報を仕入れた。

「他の馬の状態を知りたい。よい状態の馬はどれなのか……」

ケンイチはそう言った。一方、ヤスナリは次のように語った。

「ロードカナロアの状態が抜群に良い。
  今の感じなら、どんな相手でも怖くない」

香港スプリントのパドックに現れた2人。
ケンイチが厳しい表情を崩さないのとは対照的に、
ヤスナリはリラックスした表情で笑みがこぼれる。
しかし、だからと言ってケンイチが必要以上に緊張しているというわけではない。
国内でも、馬に跨った後の彼の表情が緩むことはまずないのだ。

そんなケンイチの表情が、本当に険しくなったのは、スタートした直後だった。
カレンチャンの外の馬がスタートしてすぐに内側へヨレ、
カレンチャンとケンイチは押し込められながら後退させられたのだ。

「声が出ましたよ。
  カレンチャンの引退レースで、わざわざ香港まで来たのに、
  いきなりあんな形になってしまって……」

その時、ロードカナロアは好スタートから先行し、好位をとっていた。
皆がインコースへ馬を持っていく中、
ヤスナリはロードカナロアをしばらく真っ直ぐに走らせた。
そして、3コーナーの手前からゆるやかに内へいざなった。

「最終追い切りの時も抑えるのが大変で、腕がパンパンになった。
  スプリンターズSも良い状態だと思ったけど、それ以上のデキ。
  日本のトップスプリンターとして負けられない気持ちで臨んだ」

その言葉通り、「かかってこい!」と言わんばかりの競馬。
少々のコースロスがあってもゴチャつかないコースにパートナーをいざなったのだ。
結果、何の不利も受けなかったロードカナロアは
2着に2馬身半の差をつけて、快勝してみせた。

馬上で両手を左右に大きく広げて戻ってきたヤスナリ。
右手の人差し指を立て、ナンバー1をアピールした。

「力があるから勝てると思ったし、勝ちにきたことを証明できてよかった」

カレンチャンは残念ながら7着に終わった。
スタートの不利が最後まで響く結果に、
「何をしにきたのか……」と唇を噛んだケンイチ。
しかし……。

長らく続いたスプリント戦に於ける日本の暗黒時代。
終止符を打ち、歴史の扉を開いたのはロードカナロアと岩田康誠だった。
しかし、その扉を開けるべく、ドアノブに手を掛けたのは、
前年のカレンチャンと池添謙一だった。
ヤスナリが、あれだけ堂々とした競馬が出来たのは、
前年のカレンチャンの競馬ぶりを観ていたからに他ならない。
2001年が、香港競馬に於ける日本馬の戦いの第一章の幕開けなら、
新たなる章の始まりは、今、思えば、2011年の香港スプリントだったのである。
福永祐一、岩田康誠、池添謙一。
彼らの今後の香港での活躍に、そして、日本国内での活躍に改めて期待したい。

(文中敬称略)


歴史を継ぐ、ジョッキー達の香港競馬・第二章

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