(取材日=2013年12月19日)

デビューから17年。2013年は自分にとって忘れられない1年になった。

JRA賞最多勝利騎手、そして、
ずっと目標としてきた最多獲得賞金のタイトルも獲ることができたことに加え、
長年、強い意識を持って取り組んできた
JRA年間全GIレース騎乗を達成できたことがすごくうれしかった。
GIのある日に違う競馬場で乗っていたほうが、
いい馬にも乗れるし、数を勝てることはわかっているけど、
若いころから、たとえチャンスがないと思う馬でも、GIでの騎乗を優先してきた。
それは、
GIを勝つジョッキー、
そして一番稼ぐジョッキーが、
本当の一流だと思うから。
そのためには、まずはその舞台に立たなければ何も始まらない。
GIでどういう騎手に声がかかるかといえば、
勝ち星の数よりも、やっぱり普段からGIに乗っている騎手だと思うから。

17年もかかったけれど、ずっとそこにこだわってやってきて、
ようやく達成することができ、素直に嬉しかった

1年が終わり、「いい年でしたね」って言われる機会がすごく多かったけど、
自分としては、
決して手放しで喜べる1年では
なかったと思っている。

上半期には二度の騎乗停止があり、2月の騎乗停止では、
弥生賞でのエピファネイアの騎乗をふいにしてしまった。
前年にアメリカに行ったことで、自信を深めたのと同時に、
騎乗が多少荒くなっていて、
今思えば、狭いところを突いていったり、
攻めすぎていたところがあったと思う。
二度目の騎乗停止のとき、四位さんに
「1日が始まるとき、気を付けるべきことをもう一度、
  自分に言い聞かせたほうがいい」
と言われて、改めて自分が無自覚だったことに気付いた。

その弥生賞は、レースよりも返し馬が見たくて、中山競馬場まで足を運んだ。
初めての長距離輸送だったから、馬のテンションはどうか、
どういう雰囲気で返し馬に入るのか、すごく気になってね。
結局、返し馬からもう掛かっていて、
レースでも掛かるだろうなと思っていたら案の定(4着)。
ビュイックは、掛かりながらもさすがの騎乗を見せてくれたけど、
その後の春の結果を思うと、
あそこで自分が乗れなかったのは
すごく痛かったね。

続く皐月賞も、すごく引っ掛かって…。
もうね、あのころのエピファネイアは、本当にすごかった。
今思えば、春の時点でハミを替えていれば…とも思うけれど、
馬具を替えることで、まったくダメになってしまうケースもある。
あれだけ期待の大きい馬、しかもGIの大舞台でいきなりというのは、
できない選択だったと思う。

そして迎えたダービー。
緊張から頭の中が真っ白になってしまった
キングヘイロー(98年)の時と同じように、
自分にとって忘れられないダービーになった。
当日は3番人気だったけれど、
1番人気で挑んだワールドエース(2012年4着)よりも手応えは感じていたけど、
結果2着に負けてしまったのは、自分が乗りこなせなかったことがすべて。
あんなに悔しい思いをしたのは、
おそらく初めてだったんじゃなかな。

確かにあのダービーがあったからこそ、その後、自分は変われた。
でも、馬にとってはたった一度のチャンスだったわけで、
どんなにあがいても、あの失敗を取り返すことはできない。
だから、
自分を変えるきっかけにはなったけれど、
それを「良かった」とはとても言えない。

インタビューなどで何度も話しているように、
ダービーの失敗を受けて、夏からトレーニングメニューを変えた。
それまで折り合い面にはどちらかというと自信があったし、
馬に乗るのにパワーはそれほど必要ではないと思っていたけど、
エピファネイアに出会って考えを改めさせられたね。
何しろ、あんなにパワーのある馬に乗ったのは初めてだったから。
秋を迎えたころには自分の体の変化を感じられたし、
成果はあったと思っている。

そんななかで、大きなプレッシャーを背負って挑んだのが神戸新聞杯。
ここでまた引っ掛かって、持っていかれるようなことがあったら、
おそらくエピファネイアは天皇賞に向かったと思う。
ただ、そのときは自分に騎乗依頼はこないと思っていた。
それくらいの覚悟があった。
エピファネイアは、間違いなくトップクラスの馬。
オルフェーヴルやジェンティルドンナもそうだと思うけど、
やっぱり普通の馬とはパワーが違う。
だから、そういう
トップクラスの馬を乗りこなせないようであれば、
このままジョッキーを続けていけないな
という思いもあった。
夏場にあれだけいろいろ取り組んで、
それでも神戸新聞杯で乗りこなせないようだったら、
調教師試験を受けようと本当に思ったからね。
とにかく神戸新聞杯は、いろんな覚悟を持って臨んだ一戦だった。

だから、
あそこで乗りこなせたことは本当に大きかったし、
ものすごく自信になった。
ちょっと言い過ぎかもしれないけど、
「もうこれで俺に乗りこなせない馬はいない」と思えたほど。

だから菊花賞は、負けられないという気持ちを持ちつつ、
まったく緊張せずに臨めた一戦だった。
相手関係から多少掛かっても勝てるだろうと思っていたし、
「今の俺が乗ってダメだったら、
  誰が乗ってもダメだろう」
と思えたから。それくらい自信があったね。
それに菊花賞は、折り合いをつけることが最大のテーマではなかった。
「折り合えました、でも5着でした」では、まったく意味がない。
多少掛かろうがなんだろうが勝たなアカン、
勝たなければ使った意味がないと思っていた。
折り合いを気にして最後方からいって、最後だけ脚を使わせる競馬は簡単。
でも、自分のなかでは、それは乗りこなしたことにはならない。
本当にその馬を支配下に置くことができれば、
どんな競馬でもできるはずだし、
こういう馬こそ正攻法で乗りこなせないと、先にもつながらないと思った。

神戸新聞杯と菊花賞。
この2戦を経験したことは、自分にとって本当に大きな自信になった。
結果的に、最多勝利にもつながったと思うし、
なにより、 これでジョッキーを
続けていけると思えたから。

そういえば、レース後に検量室前に戻ったとき、
「やっと、やっとや」って言ったんだけど、
その“やっと”を「やっと男馬のクラシックを勝てた」
という意味でとらえた人が多かったみたい。
でも、そうではなくて、
「やっとこの馬で結果を出せた」の“やっと”だった。
今まで男馬のクラシックを勝てなかったこととか、
自分のなかではどうでもいい話で、
それについてプレッシャーを感じたことは、これっぽっちもなかったよ。

その翌週には、ジャスタウェイで天皇賞(秋)も勝つことができた。
あれは正直、ビックリしたね。
上がってきたとき、
「この馬、ホントにジャスタウェイかな」
って思ったくらい(笑)。
うまく乗って3着くらいにきたらいいなぁとは思っていたけど、
まさかあんなに強い競馬で勝ってくれるとは。
今春にはドバイを予定しているみたいだし、この馬も楽しみだね。

決して調子がいいとは言えなかった前半戦だけど、
4月には通算1500勝を達成することもできた。
デビュー当時の自分のセンスのなさを考えたら、
我ながらよく頑張ったなと思う。
デビュー当時の話をすると、
いろんな先輩から
「“あ、こいつはセンスがないな”って、
  一発でわかった」
って言われるくらいだったからね。

父親が天才といわれるジョッキーで、
その才能を引き継いでいたらどんなに楽だったかと思うけど、
それでもここまでやってこられたのは、
師匠の北橋先生、それから瀬戸口先生、
当時バックアップしてくだった
馬主さんたちのおかげ。
ようやく少しは恩返しできるような騎手になれたと思うんだけど、
先生たちは引退してしまったし、
馬主さんたちも、その立場を退かれていたり、
あるいは他界されていたり。
恩返しができないことが、今、一番歯がゆいね。

最初に言ったように、決して手放しで喜べるような1年ではなかったけど、
目標としてた最多獲得賞金と全GI騎乗を達成できたことは、
自分で自分を評価していいところだと思っている。
自分の考えとしては、騎手としてのピークは、
30代の半ばから40代の前半。
今、まさにその時期で、幸いイメージ通りにきている。 そんななかで今年は、
自分のなかで最初の“完成形”
として位置付けている年。
少しでも早くそこに到達できるように、今年も進化を続けたいね。

福永祐一、今だから語れる“2013年”

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